仏像と舎利と金塔と觀頂幡・留学の意義

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推古天皇(五十二)仏像と舎利と金塔と觀頂幡・留学の意義

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原文

卅一年秋七月、新羅遣大使奈末智洗爾、任那遣達率奈末智、並來朝。仍貢佛像一具及金塔幷舍利、且大觀頂幡一具・小幡十二條。卽佛像居於葛野秦寺、以餘舍利金塔觀頂幡等皆納于四天王寺。是時、大唐學問者僧惠齋・惠光・及醫惠日・福因等並從智洗爾等來之。於是、惠日等共奏聞曰「留于唐国學者皆學以成業、應喚。且其大唐国者法式備定之珍国也、常須達。」

現代語訳

即位31年秋7月。新羅は大使の奈末智洗爾(ナマチセンニ)を派遣し、任那は達率奈末智(ダチソチマナチ)を派遣し、並んで一緒に来朝しました。それで仏像を1具と、金塔(コガネノトウ)と舎利(シャリ=仏舎利)を献上しました。また、觀頂(カンジョウ=灌頂=頭頂に聖なる水を注ぐ儀式)の儀式に使う幡(ハタ)を1具、小幡(チイサキハタ)を12条を献上しました。すぐに仏像を葛野(カドノ)の秦寺(ウツマサデラ=蜂岡寺=広隆寺)に居らせました。残りの舎利・金塔・觀頂幡などを全部、四天王寺に納めました。この時に、大唐(モロコシ)の学問者の僧の恵斉(エサイ)・恵光(エコウ)と医者の恵日(エニチ)・福因(フクイン)たちは、皆、智洗爾(チセンニ)たちに従って、日本に来ました。恵日たちは、ともに申し上げて言いました。
「唐国(モロコシ)い留学する学者は皆、学業を成しました。召喚するべきです。また、かの大唐国は法式(ノリ)を備えて定めている珍しい宝の国です。常に通うべきです」
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解説

奈末と達率
新羅の奈末は役人の官位で、17階中の11位。
任那の達率も役人の官位で、16階中の2位。
新羅が日本を馬鹿にして、任那が日本を大事に思っているのが分かる。そういう新羅の意図を隠さず残しているところを見ると日本書紀の改ざんは少ないのではないかと思う。
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