磐金と使者・新羅の征伐

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推古天皇(五十五)磐金と使者・新羅の征伐

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原文

時、磐金等共會於津將發船、以候風波。於是、船師滿海多至。兩国使人、望瞻之、愕然、乃還留焉。更代堪遲大舍爲任那調使而貢上。於是、磐金等相謂之曰「是軍起之、既違前期。是以、任那之事今亦不成矣。」則發船而度之。唯、將軍等始到任那而議之、欲襲新羅。於是、新羅国主、聞軍多至而豫慴之、請服。時、將軍等共議以上表之、天皇聽矣。

現代語訳

磐金(イワカネ)たちは皆、津(ツ)に集まって、船を出発しようと風と波を待っていました。船師(フナイクサ)が沢山集まって、海に満ちました。両国の使者はその様子を望み見て、恐れかしこまりました。それで帰らず留まりました。さらに堪遅大舍(タンジタサ)を代役にして、任那の調(ミツキ=税)を使者として献上しました。磐金たちは語り合って言いました。
「軍が起き、すでに前の約束と違っている。これでは任那のことは、今、また成立しないだろう」
すぐに船を出発して渡りました。将軍たちは任那に到着して話し合い、新羅を襲おうとしました。すると新羅国の主は軍隊が大量に到着していると聞いて、あらかじめ恐れて、服属すると請願しました。その時、将軍たちは、ともに話し合って表(フミ)を天皇に献上しました。天皇はそれを聞いて許しました。
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解説

前のページで、新羅からの使者が来日する途中だというのに、軍隊を派兵。前の話し合いでは「新羅征伐は取りやめ」だったのにね。

新羅に派兵したのですが、そこで戦争は起こらず、新羅が折れることでまたおしまい。これって、こういう事情があったんじゃないかと思うのです……
日本の都には城壁がないんですね。これを見て中国の使者が「これじゃ都じゃねぇよ」と突っ込むくらいです。どうして城壁が無いのかというと、日本は戦争になっても、民は殺さないからです。民を殺さない以上、城壁っていらないんです。でも中国や朝鮮は、民も皆殺しにします。だから城壁で囲って守らないといけません。

日本が新羅に来ても、民は殺されないし、「ごめんね」って言ったらそれで帰っていくのです。日本は話し合いの国ですから、形の上だけでも服属の意思を示すと、殺せないんですね。それで新羅の国にスッカリと舐められていたんじゃないかと思うんです。

それに、「屋久島」の人が日本にやって来ているという記事がありましたから、日本は沖縄経由の貿易航路を開拓したようなのです。朝鮮を経由しなくても貿易ができ、文化の輸入も可能です。だから朝鮮の価値が日本の中でスッカリと下がっていたのではないかと。
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