僧が斧で祖父を殴り殺す

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推古天皇(五十七)僧が斧で祖父を殴り殺す

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原文

卅二年夏四月丙午朔戊申、有一僧、執斧毆祖父。時天皇聞之召大臣、詔之曰「夫出家者、頓歸三寶、具懷戒法。何無懺忌輙犯惡逆。今朕聞、有僧以毆祖父。故、悉聚諸寺僧尼、以推問之。若事實者、重罪之。」於是、集諸僧尼而推之。則惡逆僧及諸僧尼並將罪。

現代語訳

即位32年夏4月3日。1人の僧(ホウシ=法師)がいて、斧を手にとって祖父を殴りました。その時、天皇はそれを聞いて大臣を呼び出して、詔(ミコトノリ)して言いました。
「その出家した者は、ひたすらに三宝(サンポウ=仏・法・僧)に帰依して、戒法を保ち守る者だ。どうして、懺悔し忌むことなく、簡単に悪逆なことを犯すのだろうか。今、朕(チン)は聞く。僧がいて、祖父を殴った。すべての諸々の寺の僧尼を集めて、責め問え。もし、事実ならば、重罪にしろ」
諸々の僧を集めて、責め問いました。すぐに悪逆なことをした僧と諸々の僧尼を、並べて罪を問いました。
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解説

日本の法と、仏法
日本はこの当時、法律というのはなかったんですね。でも、法律のようなものはありました。それは神社の「大祓え」で語られる言葉です。ただハッキリとした文章では書き記すことはできませんでした。日本では穢れを恐れるあまりに、動物の毛を使えず、結果、筆を使えなかったからです。

それで日本の「法っぽいもの」の中には「和」があった。和は集団を大事にする感覚です。だから、日本人としては、個人の罪は集団全体の罪でもあった。そこで僧の個人の罪を、全体の罪として問うた。ところが、仏教では個人の罪は個人の罰で対応する。この差を表した話、なんじゃないかと思うのです。
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