馬子の死・嶋大臣の由来・霖雨と飢餓

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推古天皇(六十一)馬子の死・嶋大臣の由来・霖雨と飢餓

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原文

卅三年春正月壬申朔戊寅、高麗王貢僧惠灌。仍任僧正。

卅四年春正月、桃李花之。三月、寒以霜降。夏五月戊子朔丁未、大臣薨、仍葬于桃原墓。大臣則稻目宿禰之子也、性有武略亦有辨才、以恭敬三寶。家於飛鳥河之傍、乃庭中開小池、仍興小嶋於池中、故時人曰嶋大臣。

六月、雪也。是歲、自三月至七月霖雨。天下大飢之、老者噉草根而死于道垂、幼者含乳以母子共死。又强盜竊盜、並大起之不可止。

現代語訳

即位33年春1月7日。高麗の王は僧の恵灌(エカン)を献上しました。僧正(ソウジョウ=仏教の統制機関)に任命しました。

即位34年春1月に桃季(モモスモモ)に花が咲きました。

3月寒くて、霜が降りました。

夏5月20日。大臣(オオオミ=蘇我馬子)が亡くなりました。桃原墓(モモハラノハカ)に葬りました。大臣は稲目宿禰の子です。性格は武略があり、また弁才もありました。三宝(サンポウ=仏・法・僧)を慎しみ敬い、飛鳥河(アスカガワ=大和国高市郡稲淵山から出て大和川に合流する川)のほとりに家があり、住んでいました。その庭の中に小さな池を張っていました。小さな島をその池の中に作っていました。それでその時代の人は嶋大臣(シマノオオオミ)と言っていました。

6月に雪が降りました。この年(即位33年)の3月から7月まで霖雨(ナガメ=長雨)が降りました。天下はとても飢えました。老人は草の根を喰らい、道のほとりで死にました。幼い子は乳を飲み、母子ともに死にました。強盗・窃盗がたくさん発生して、止められませんでした。
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解説

嶋大臣
蘇我馬子は庭の池に嶋を作っていたから「嶋大臣」と呼ばれていた、とここに書かれているのですが、これ以前に「嶋大臣」という記述はあります。物語としては妙ですが、日本書紀が「元ネタ」から「真面目に」引用している証拠なんじゃないかと思うのですよね。

もしくは記述の順番が逆か。
長雨・・・これが天岩戸神話の根源ではないか
私は梅雨の長雨が天岩戸神話の根源だと思っています。太陽が雲に隠れ、それをおびき出すために宴会をする。その宴会が、のちに祇園祭などになっていく。だから岩戸は太陽を隠す雲のことであり、岩戸をこじ開ける「アメノタヂカラオ」という山岳信仰の神が登場するのは、高い山が雲を割る様子を表しているか、山から日が昇ることを表しているのだと思っています。
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