孝徳天皇(十七)その3戸籍・計帳・班田收授之法

MENU
TOP>孝徳天皇(日本書紀)>孝徳天皇(十七)その3戸籍・計帳・班田收授之法
スポンサードリンク

孝徳天皇(十七)その3戸籍・計帳・班田收授之法

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

其三曰、初造戸籍・計帳・班田收授之法。凡五十戸爲里、毎里置長一人、掌按檢戸口・課殖農桑・禁察非違・催駈賦役。若山谷阻險・地遠人稀之處、隨便量置。凡田長卅步・廣十二步、爲段。十段爲町。段租稻二束二把、町租稻廿二束。

現代語訳

その3。
初めて、戸籍(ヘノフミタ)・計帳(カズノフミタ)・班田収授之法(アカチダオサメサズクルノリ)を造りなさい。50戸で里とする。里ごとに長(オサ)を1人置く。戸口を調べて、農桑(ナリワイクワ=農業と桑を育てる=養蚕)を植えさせ、法を犯すものを禁じ、監察し、賦役(エツキ=労働する税)を促し、使役する役目を負いなさい。もし山谷が険しくて、遠いところで人が稀にしかいない地域には、便(タヨリ=報告)に従って、調べたことにして処理しなさい。田の長さは30歩。広さは12歩を段とする。10段を町としなさい。段ごとに祖(タチカラ=穀物の税)の稲2束2把。町ごとに祖の稲を22束としなさい。
スポンサードリンク

解説

どのくらいの土地だと、このくらいの税を徴収し、それを誰がやるかを指定しています。

日本人は穢れを嫌いました。穢れとは、いろいろあるのですが、中でも動物の死体を嫌いました。だから動物の死体から取れる「毛皮」「皮」を使った伝統工芸品が日本にはほとんどありません。しかし、どうしても生活の中で必要なものがあります。それが動物の毛から作る「筆」です。しかし、日本人の感覚では筆は穢れているため、筆で書いた「文」も穢れたものでした。これでは記録もできない。だから日本人は長い間「文字」を使用することができなかったのだと思います。理屈から言えば、少なくとも倭奴国の金印の時代には「文字」「漢字」というのは、知っていたはずなんですから。

記録しないと税を取り立てることができません。よって大きく発展することができません。蘇我稲目の時代の頃から、「穢れの概念のない」朝鮮人や蝦夷を利用して、この「記録」をさせたのですが、いかんせん人数が足りない。

そこで仏教を取り入れた。仏教には穢れの概念がありません。よって仏教関係者がまず「書き記す」ことを始め、それが基礎となって、法と、戸籍や土地の広さの記録を基にして税金を徴収し始めた。

そのためには共通の「広さの単位」や「長さの単位」が必要です。これがこのページの
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集