孝徳天皇(十六)その2畿内の組織運営について

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孝徳天皇(十六)その2畿内の組織運営について

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原文

其二曰、初修京師、置畿內国司・郡司・關塞・斥候・防人・驛馬・傳馬、及造鈴契、定山河。凡京毎坊置長一人、四坊置令一人、掌按檢戸口、督察姧非。其坊令、取坊內明廉强直、堪時務者充。里坊長、並取里坊百姓淸正强□者充。若當里坊無人、聽於比里坊簡用。凡畿內、東自名墾横河以來、南自紀伊兄山以來、(兄、此云制)西自赤石櫛淵以來、北自近江狹々波合坂山以來、爲畿內国。凡郡以四十里爲大郡、三十里以下四里以上爲中郡、三里爲小郡。其郡司、並取国造性識淸廉、堪時務者、爲大領・少領、强□聰敏、工書算者、爲主政・主帳。凡給驛馬・傳馬、皆依鈴傳符剋數。凡諸国及關、給鈴契。並長官執、無次官執。
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現代語訳

その2。
初めて京師(ミサト=天子の住む都のこと)を治め、畿内国(ウチツクニ=大和近辺の国)の司・郡司(コオリノツカサ)・関塞(セキソコ=防御施設)・斥候(ウカミ=スパイ)・防人(サキモリ=西海の防衛隊)・駅馬(ハイマ=駅に置く馬)・伝馬(ツタワリウマ=郡に置く馬)を置き、鈴契(スズシルシ=駅の鈴と手形)を作り、山河を定めなさい(=地域区画を決める)。京には坊毎(マチゴト=町ごと)に長(オサ)を一人置きなさい。四つの坊(マチ)には令(ウナガシ)を一人置きなさい。戸口を調べて、邪な悪いやつを正し、監察する役に師なさい。その坊令(マチノウナガシ)には坊の内に潔白で強く実直で、時節の政務に堪えるものを取り上げて当てなさい。里坊(サトマチ)の長には、里坊の百姓の清く正しく、勇ましいものを取り立てて当てなさい。もしその里坊にそういう人物がいない時は、隣の里坊から選んで用いることを許します。畿内(ウチツクニ)では東は名墾横河(ナガリノヨコカワ=伊賀名張郡名張川)から、南は紀伊の兄山(セノヤマ=紀伊国紀ノ川中流=現在の和歌山県伊都郡かつらぎ町に背山・対岸に妹山がある)から、
兄を制(セ)と読みます。

西は明石の櫛淵(クシフチ)から、北は近江の狹々波(ササナミ)の合坂山(アウサカヤマ=現在の滋賀県大津市)を畿内国とします。郡は40里を持って大郡(オオコオリ)としなさい。30里以下、4里より以上を中郡(ナカツコオリ)とし、3里を小郡(スクナキコオリ)としなさい。その郡司(コオリノミヤツコ)には、国造(クニノミヤツコ)の性格が清廉で、時節の政務に堪えるものを取り立てて、大領(コオリノミヤツコ)・少領(スケノミヤツコ)として、強くて勇ましく、聡くて、読み書き、計算が上手いものを、主政(マツリゴトヒト)・主帳(フビト)としなさい。駅馬(ハイマ)・伝馬(ツタワリウマ)の数は、鈴・伝符(ツタエノシルシ)の刻んだ数によります。諸国と関には鈴契(スズシルシ)を与えよう。長官が取りなさい。そうでなければ、次官(スケ)が取ってください。
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解説

日本はこれまで地方の氏族が中央に出向いて政治について話し合っていましたが、大化の改新以降では、氏族は大和朝廷に属する役人のようになります。と言っても、それは形式であって、実際はほとんど変化が無かったのだと思われます。

しかし、大和朝廷…というか孝徳天皇と中大兄皇子という儒教を学んだ人物が思い描いた「理想の大和朝廷」とは、天皇と頂点としたピラミッド型の組織だったのでしょう。

儒教では上下関係が大事で、上の命令は絶対です。このルールを保つことで戦乱を避けようというのが儒教であり、社会が安定します。実際、李氏朝鮮は400年間、内部闘争はしつつも戦乱は避けていました。

ただ、日本は上下関係の薄い「和の社会」ですし、そもそも他の国に比べれば争い事の少ない社会です。ここに儒教の世界観を持ち込んでも、あんまり意味がないのではないかと思うのですよね。ただ当時の中国は超大国であり、見習うべき存在だった。その中国が儒教なんだから、取り入れるのは当然といえば当然。

さて、これからどうなるのやら。
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