孝徳天皇(六十)難波長柄豊碕宮

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孝徳天皇(六十)難波長柄豊碕宮

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原文

二年春三月甲午朔丁未、丈六繡像等成。戊申、皇祖母尊請十師等設齋。夏六月、百濟・新羅遣使貢調獻物。冬十二月晦、於味經宮請二千一百餘僧尼使讀一切經。是夕、燃二千七百餘燈於朝庭內、使讀安宅・土側等經。於是、天皇從於大郡遷居新宮、號曰難波長柄豊碕宮。

現代語訳

(即位7年)白雉2年春3月14日。丈六(ジョウロク=仏像の大きさの基準)の繡像(ヌイモノノホトケ=刺繍の仏)たちが完成しました。
3月15日。皇祖母尊(スメミオヤノミコト=皇極天皇=ここでは皇極上皇)が十師(トタリノノリノシ)たちに請願して設斎(オガミ=儀式)をしました。

夏6月。百済・新羅が使者を派遣して貢調(ミツキ)と品物を献上しました。

冬12月晦(=30日)に味経宮(アジフノミヤ)に2100あまりの僧尼に請願して、一切経(=仏教聖典の総称)を読ませました。この夕方に2700あまりの燈(ミアカシ=灯り)を朝廷の庭内(オホバ)に灯して、安宅(アンタク)・土側(ドソク)などのお経を読ませました。ここに天皇は大郡(オオゴオリ)から移って新宮も居ました。名付けて難波長柄豊碕宮(ナニワノナガラノトヨサキノミヤ)と言います。
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解説

安宅(アンタク)・土側(ドソク)
は難波宮を建てるのに、ちゃんと立つようにするお経、のよう。
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