孝徳天皇(五十八)白雉の由来

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孝徳天皇(五十八)白雉の由来

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原文

詔曰「聖王出世治天下時、天則應之示其祥瑞。曩者、西土之君周成王世與漢明帝時白雉爰見。我日本国譽田天皇之世白烏樔宮、大鷦鷯帝之時龍馬西見。是、以自古迄今祥瑞時見、以應有德、其類多矣。所謂鳳凰・騏驎・白雉・白烏、若斯鳥獸及于草木有苻應者、皆是天地所生休祥嘉瑞也。夫明聖之君獲斯祥瑞適其宜也、朕惟虛薄何以享斯。蓋此、專由扶翼公卿臣連伴造国造等各盡丹誠奉遵制度之所致也。是故、始於公卿及百官等、以淸白意、敬奉神祇、並受休祥、令榮天下。」又詔曰「四方諸国郡等、由天委付之故、朕總臨而御寓。今我親神祖之所知穴戸国中有此嘉瑞、所以、大赦天下・改元白雉。」仍禁放鷹於穴戸堺、賜公卿大夫以下至于令史、各有差。於是、褒美国司草壁連醜經、授大山、幷大給祿、復穴戸三年調役。
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現代語訳

詔(ミコトノリ)して言いました。
「聖王(ヒジリノキミ)が世に出て、天下を治める時に、天は答えて、その祥瑞(ミツ=神聖である事)を表し示しました。昔、西土の君主である周の成王(ジョウオウ)の世と、漢の明帝の時に白い雉子が見られた。我らの日本国(ミカド)の誉田天皇(ホムタノスメラミコト応神天皇)の世に白烏(シロキカラス)が宮に巣を作りました。大鷦鷯帝(オオサザキノミカド=仁徳天皇)の時代に竜馬(リュウメ=神馬=ペガサス?)が西に見えました。古(イニシエ)から今に至るまで、祥瑞(ミツ=神聖な)時代に(白い動物が)見え、(その時代の天皇に)徳があると答える、そういう類のことが多い。いわゆる、鳳凰・麒麟・白雉・白烏、こう言った鳥獣から草木に至るまで、苻(シルシ=天からの命令)や応えがあるのは、天地が成した、休祥嘉瑞(ヨキサガヨキミチ=吉兆)です。明聖(ヒジリ)の君主がこの祥瑞(ミツ=吉兆=ここでは白い雉)を獲たのは、まさに天からの宣託です。
朕(ワレ)はこれに相応しくない。どうしてこの吉兆を受けたのか、もしもこれが、助けてくれる公卿(マヘツキミ=臣下)・臣・連・伴造・国造たちがそれぞれが丹精込めて誠意を尽くして、制度を奉じて遵守したからだろう。だから公卿(マヘツキミ)から百官(ツカサツカサ=役人)たちに至るまで、清らかで真っ白な心を持って、神祇(アマツカミクニツカミ)に敬い奉り、休祥(ヨキサガ=吉兆)を受けて、天下を栄えさせなさい」
また、詔して言いました。
「司法の諸々の国郡など、天が委(ユダ)ね授けたので、朕(ワレ)は総てを臨み見て天下を治める。今、我が親神祖(ムツカムロキ=親愛なる神祖)が知らせた、穴戸国(アナトノクニ=長門=現在の山口県)の中にこの吉兆(=白い雉)があった。なので天下の大赦(オオキニツミユルス)する。元年を白雉(ハクチ)と改めよう」
それで鷹を穴戸との堺に放つことを禁じ、公卿大夫(マヘツキミ)より以下から令史(フビト)まで品物を与える。それぞれに品がある。国司・草壁連醜経(クサカベノムラジシコブ)を褒め、大山(ダイセンノクライ)を授ける。合わせて、たくさんの禄(モノ)を与えよう。穴戸(アナト)の3年の調役(エツキ=調と労役)を免除しました。
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解説

吉兆とされる動物が現れるというのは、中国の歴史の中での登場だけでなく、日本の歴史の中にもあった、と書いてあります。
まず応神天皇の「白烏」が宮に巣を作ったという話。
次に仁徳天皇の時代には竜馬が見られたというのです。
が、どちらの話も、記述が日本書紀に無いので、「本当か?」と突っ込みたくなりますが、記述がなかったからといって「捏造」とも言い切れないのが難しいところ。
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