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持統天皇(十六)撰善言司の拝命
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六月壬午朔、賜衣裳筑紫大宰等。癸未、以皇子施基・直廣肆佐味朝臣宿那麻呂・羽田朝臣齊(齊、此云牟吾閉)・勤廣肆伊余部連馬飼・調忌寸老人・務大參大伴宿禰手拍與巨勢朝臣多益須等、拜撰善言司。庚子、賜大唐續守言・薩弘恪等稻、各有差。辛丑、詔筑紫大宰粟田眞人朝臣等、賜學問僧明聰・觀智等爲送新羅師友、綿各一百四十斤。乙巳、於筑紫小郡、設新羅弔使金道那等、賜物各有差。庚戌、班賜諸司令、一部廿二卷。
現代語訳
(即位3年)6月1日。衣裳(キモノ)を筑紫大宰(ツクシノオオミコトモチ)たちに与えました。
6月2日。皇子施基(=施基皇子)・直広肆の佐味朝臣宿那麻呂(サミノアソミスクナマロ)・羽田朝臣斉(ハタノアソミムゴヘ)
勤広肆の伊余部連馬飼(イヨベンムラジウマカイ)・調忌寸老人(ツキノイミキオキナ)・務大参の大伴宿禰手拍(オオトモノスクネテウチ)と巨勢朝臣多益須(コセノアソミタヤス)たちを撰善言司(ヨキコトエラブツカサ=善言という書物を編纂するための役人=善言は先人の名言を集めた本)に拝命しました。
6月19日。大唐(モロコシ)の続守言(ショクシュゲン)・薩弘恪(サッコウカク)たちに稲を与えました。それぞれに品がありました。
6月20日。筑紫大宰(ツクシノオオミコトモチ)の粟田真人朝臣(アワタノマヒトノアソミ)たちに詔(ミコトノリ)して、学問僧の明聡(ミョウソウ)・観智(カンチ)たちが新羅の師友(トモ)に送るための綿、それぞれ140斤を与えました。
6月24日。筑紫の小郡(オゴオリ)で新羅の弔いの使者の金道那(キンドウナ)たちをもてなす宴会を設けました。物を与え、それぞれに品がありました。
6月29日。諸司(ツカサツカサ=役人)に令(ノリノフミ)を1部22巻を分け与えました。
6月2日。皇子施基(=施基皇子)・直広肆の佐味朝臣宿那麻呂(サミノアソミスクナマロ)・羽田朝臣斉(ハタノアソミムゴヘ)
斉、牟吾閉(ムゴヘ)と言います。
勤広肆の伊余部連馬飼(イヨベンムラジウマカイ)・調忌寸老人(ツキノイミキオキナ)・務大参の大伴宿禰手拍(オオトモノスクネテウチ)と巨勢朝臣多益須(コセノアソミタヤス)たちを撰善言司(ヨキコトエラブツカサ=善言という書物を編纂するための役人=善言は先人の名言を集めた本)に拝命しました。
6月19日。大唐(モロコシ)の続守言(ショクシュゲン)・薩弘恪(サッコウカク)たちに稲を与えました。それぞれに品がありました。
6月20日。筑紫大宰(ツクシノオオミコトモチ)の粟田真人朝臣(アワタノマヒトノアソミ)たちに詔(ミコトノリ)して、学問僧の明聡(ミョウソウ)・観智(カンチ)たちが新羅の師友(トモ)に送るための綿、それぞれ140斤を与えました。
6月24日。筑紫の小郡(オゴオリ)で新羅の弔いの使者の金道那(キンドウナ)たちをもてなす宴会を設けました。物を与え、それぞれに品がありました。
6月29日。諸司(ツカサツカサ=役人)に令(ノリノフミ)を1部22巻を分け与えました。
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解説
撰善言司
先人の名言とか格言をまとめた本のよう。結局、完成することはありませんでした。善言は中国の南朝宋が編纂した「古今善言」を真似たもの。それがどういう内容だったのはか分からないです。
日本書紀の一部は「善言」を参考としたとも言われます。
先人の名言とか格言をまとめた本のよう。結局、完成することはありませんでした。善言は中国の南朝宋が編纂した「古今善言」を真似たもの。それがどういう内容だったのはか分からないです。
日本書紀の一部は「善言」を参考としたとも言われます。
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