持統天皇(二十五)新しい朝服・朝堂での礼儀

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持統天皇(二十五)新しい朝服・朝堂での礼儀

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原文

秋七月丙子朔、公卿百寮人等、始着新朝服。戊寅、班幣於天神地祗。庚辰、以皇子高市爲太政大臣、以正廣參授丹比嶋眞人爲右大臣、幷八省百寮皆遷任焉。辛巳、大宰・国司、皆遷任焉。壬午、詔「令公卿百寮凡有位者、自今以後、於家內着朝服而參上未開門以前。」蓋昔者到宮門而着朝服乎。甲申、詔曰「凡朝堂座上見親王者、如常、大臣與王起立堂前、二王以上下座而跪。」己丑、詔曰「朝堂座上見大臣、動坐而跪。」是日、以絁絲綿布奉施七寺安居沙門三千三百六十三、別爲皇太子奉施於三寺安居沙門三百廿九。癸巳、遣使者祭廣瀬大忌神與龍田風神。
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現代語訳

(即位4年)秋7月1日。公卿(マヘツキミ=臣下)・百寮(ツカサツカサ=役人)たちは、初めて新しい朝服(ミカドコロモ=朝廷の服)を着ました。
7月3日。天神地祇に班幣を納めました。
7月5日。皇子高市(=高市皇子)を太政大臣としました。正広参を丹比嶋真人(タジヒノシマノマヒト)に授けて右大臣としました。合わせて八省百寮(すべての省庁の役人)を遷任しました。
7月6日。大宰・国司を皆、遷任しました。
7月7日。詔(ミコトノリ)しました。
「公卿(マヘツキミ)・百寮(ツカサツカサ)の、すべての位のあるものは、今から以後、家の中でも朝服(ミカドコロモ)を着て、門を開ける以前に参上しなさい」
おそらく昔は宮門に参り出てから朝服を着たのか?
7月9日。詔して言いました。
「すべての朝堂(ミカド)の座の上で、親王を見るときは常のようにしなさい。大臣と王には立って、堂の前に立ちなさい。2階級の王より上には座から降りて跪きなさい」
7月14日。詔して言いました。
「朝堂の座の上で、大臣を見るときは、坐(クライ)を動いて跪きなさい」
この日に絁(フトギヌ)・糸・綿・布を7つの寺の安居(アンゴ)の沙門(ホウシ=僧)、3363人に送り施しました。それとは別に皇太子のために3つの寺の安居の沙門の329人に送り施しました。
7月18日。使者を派遣して広瀬大忌神と竜田風神を祭らせました。
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解説

右大臣
天武天皇は、身内に政治参加させて、朝廷の政治の主な業務を皇族で占めようとしました。だから大臣を任じていませんでした。ここで、持統天皇によって右大臣を任じたということは、天武天皇の方策を転換したということになります。
朝堂の座の上で
朝廷の仕事場での、位の上の人に接する時の「礼」の規定です。
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