持統天皇(四十四)百姓に黄色の衣を奴に皁衣を・80歳以上に給う

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持統天皇(四十四)百姓に黄色の衣を奴に皁衣を・80歳以上に給う

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原文

七年春正月辛卯朔壬辰、以淨廣壹授皇子高市、淨廣貳授皇子長與皇子弓削。是日、詔令天下百姓、服黃色衣、奴皁衣。丁酉、饗公卿大夫等。癸卯、賜京師及畿內有位年八十以上、人衾一領・絁二匹・綿二屯・布四端。乙巳、以正廣參贈百濟王善光、幷賜賻物。丙午、賜京師男女年八十以上・及困乏窮者、布各有差。賜船瀬沙門法鏡、水田三町。是日、漢人等奏蹈歌。

現代語訳

即位7年春1月2日。浄広壱を皇子高市(=高市皇子)に授けました。浄広弐を皇子長(=長皇子)と皇子弓削(=弓削皇子)に授けました。この日に詔(ミコトノリ)して天下の百姓に黄色の衣を着させました。奴(ヤッコ)は皁衣(クロキヌ)を着させました。
1月7日。公卿大夫(マヘツキミ=臣下)たちに宴会をしてもてなしました。
1月13日。京師(ミヤコ)と畿内の位のある80歳以上の人ごとに、衾(フスマ)一領・絁(フトギヌ)二匹・綿二屯・布四端を与えました。
1月15日。正広参を百済王の善光(ゼンコウ)に送りました。合わせて賻物(ハブリモノ=遺族に贈る香典のようなもの)を与えました。
1月16日。京師(ミヤコ)の男女の年齢が80以上の、困窮している者に布を与え、それぞれに品がありました。船瀬(フナセ=波止場)の沙門(ホウシ=僧)の法鏡(ホウキョウ)に水田3町を与えました。この日に、漢人(アヤヒト)たちが、蹈歌(アラレハシリ=足を踏みならして歌う歌)を奏じました。
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解説

80歳以上
80歳以上を敬うのは、儒教の影響か。まぁ、そうでなくてもどこの国にも似たような感覚はあるわけですが。それより80歳上が多すぎませんか? 本当に80歳なんでしょうか? 無論、間違い、嘘かもしれないんですが、戸籍を取っていますからね。
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