持統天皇(四十八)多武嶺へ行幸・清御原天皇のために無遮大会

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持統天皇(四十八)多武嶺へ行幸・清御原天皇のために無遮大会

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原文

八月戊午朔、幸藤原宮地。甲戌、幸吉野宮。戊寅、車駕還宮。九月丁亥朔、日有蝕之。辛卯、幸多武嶺。壬辰、車駕還宮。丙申、爲淸御原天皇、設無遮大會於內裏。繋囚悉原遣。壬寅、以直廣參贈蚊屋忌寸木間、幷賜賻物、以褒壬申年之役功。

現代語訳

(即位7年)
8月1日。藤原の宮地に行きました。
8月17日。吉野宮へ行きました。
8月21日。車駕(スメラミコト天皇の乗る車)が宮に帰りました。

9月1日。日蝕がありました。
9月5日。多武嶺(タムノミネ=奈良県桜井市の南にある山)に行きました。
9月6日。車駕(スメラミコト)が宮に帰りました。
9月10日。清御原天皇(キヨミハラノスメラミコト=天武天皇)のために無遮大会(カギリナキオガミ)を内裏(オオウチ)で設けました。繋囚(トラワレビト=囚人)を全て赦してやりました。
9月16日。直広参を蚊屋忌寸木間(カヤノイミキコノマ)に贈りました。合わせて賻物(ハブリモノ=遺族に贈る香典のようなもの)を与えました。壬申の年の役(エダチ)の功績を褒めてのことです。
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解説

無遮大会
無遮大会は全ての人に布施を行う儀式。持統天皇即位2年2月に「天武天皇が亡くなった日には毎年、儀式をしようよ」と詔していますから、それのことでしょう。

ただ天武天皇が亡くなったのは9月9日。無遮大会を演ったのは9月10日で1日ずれている。
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