決史八代の天皇の年齢について

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決史八代の天皇の年齢について

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天皇の年齢について

神武天皇以前の神は神話色が強く、「実在した」という議論すらありません。ですが神武天皇から開化天皇までの9代(神武天皇+決史8代で9代)は実在の議論のある物語です。

その中で嘘っぽいね、とされる一つが神武天皇などの年齢です。ここではその年齢をリストにしています。
私個人は
9代の天皇が実在したかな、と思っています。古事記に書かれた宮(=政治事務所)と陵(=墓)の記載があり、それらは古事記編纂時には実際にあったか、ほとんどの人が、それが実在したことを知っているようなモノでないとマズかったハズだからです。当時の大和朝廷は決して強い存在ではなく、後から風土記などで反論もあり得る程度のものでした。嘘を書けば文句が出るのは間違いない。半端なことは書けなかったと思います。

それは置いておいて。年齢の話です。
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年齢の一覧

神武天皇137歳
綏靖天皇45歳
安寧天皇49歳
懿徳天皇45歳
孝昭天皇93歳
孝安天皇123歳
孝霊天皇106歳
孝元天皇57歳
開化天皇63歳
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年齢の数え方

『三国志』魏志倭人伝・裴松之註「魏略に曰く。其の俗、正歳四節を知らず。但し春耕・秋収を計りて年紀と為す」

古代の日本に関する記述は基本的にこの魏志倭人伝とあとは考古学の物証だけ。そのためこの分野は非常に妄想が占めるようになります。その妄想を排除するのが、この分野の肝、っぽいです。

さて、上記の記述を分かりやすく現代語にすると

「日本人は暦を知らない。春と秋を計って一年としている」

という感じです。つまり、日本には暦が伝わっていないので、『年』というのが分かっていない。ということなんですが、農耕をしているのだから季節の巡りは当然分かっているわけで、『まぁ日本人って細かいことは分かっていないよね』、くらいの意味なのか、それとも、『日本人っておかしいよね、春と秋で二回「年」が変わるんだよ』、という意味なのか??そのあたりはハッキリしません。
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二倍年暦説を採用すると

春と秋に歳をとる
というわけで、春と秋に歳をとっていた――という説を採用すると、上記の神武天皇から開化天皇の年齢には、それほどの矛盾が無くなる。

あくまで説のひとつです
神武天皇と決史八代が実在してほしい、という妄想・欲望からこういった辻褄合わせの説を立てている、という見方も出来ます。しかし、日本に春分と秋分に「お彼岸」という風習が残っていて、それが実は仏教とは何ら関係ないことを思うと、この話、意外と事実かもしれない、と私は思います。

結局のところ、これらの天皇の墓がハッキリと見つかることが実在の証明になるし、それまでは、実在すると明言するのは「客観性」に乏しいと思います。
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雑記・補足

●日本の地方に6月の行事が多いのは二倍年暦の名残ではないか??
●魏志倭人伝には日本人は80歳90歳の老人が多いとしているが、当時の食料・医療の状態を考えれば、そんなわけはない。これも二倍年暦が原因ではないか??
●魏志倭人伝は官僚が書いたもので、当時のインテリが書いている。また半端な仕事をすれば殺されかねない状況だった。勘違いや嘘の可能性は低い。
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