日本の神の役割と大王・天皇の発生

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日本の神の役割と大王・天皇の発生

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概要

まとめ
●王と神が分離した最初期、神は自然物に重ねられた。
●しかし他集団と区別がつかないので人格がつき、名前がつけられた。
●一神教では神を強くすることで大きな組織を運営できるようにした。日本では分離した神がダメだと判断した場合、強く新しい神を迎え、古い神を捨てた。
●その決定が出来るのが「天皇」だった。

霊力が神に・神に名前をつけるならば。

リーダーから霊力が分離され、神が生まれました。神は最初は「山」とか「海」といった自然物でした。深い意味はありません。そういうものを畏怖する気持ちは人間としては当然あったから、転嫁しやすかったのでしょう。

最初はそれで良かったのですが、ほかの集団も似たようなものを「神」としてくると、区別がつかなくなりました。明らかに敵対している別の集団なのに同じような自然物を神をあがめていると「自他」の境が曖昧になるからです。これは「王」にとっても都合が悪い。

そこで神に人格を与え、名前を付けるようになりました。神に名前がついたのは順番としてはかなり「新しい」はずです。
●もちろん一神教では「神」に特別な名前を付ける必要はありませんでした。「神は神」です。名前を付けるということは「ほかに神がいる」と認めるようなものです。
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リーダーと王と

神の権威づけとして神話を設けました。これに関しては、物語があり、それを神にはめ込んだと考えたほうが理にかなっています。まぁ、どっちが先かは大した問題ではないでしょう。
●リーダーから分離した神ですが、リーダーが生きている間に神(=霊力)が分離したとは限りません。その多くは死後、人間のリーダーがそのまま「神」となったのが一般的と考えられます。
●そのためリーダーの生前の活躍がそのまま「神話」となったケースが多いわけです。

王さまは意外と基盤が弱い

王は神の意志を汲み、神の力を借りて、集団を統率し、「国」を大きく発展させていきました。ここで誤解してはいけないのは「王」は「民」によって信任されているということです。

王さまというと絶対的な権力を持っていて、民を奴隷のように扱うものと思いがちですが、案外と王さまの権力基盤は緩いものです。
絶対王政になる前のヨーロッパでは新しい王が町に出て市民の信認を求めます。そこで市民が「是」としないと「王」にはなれません。ちなみに絶対王政になる前の王は夜は酒場で飲み、民と酌み交わしていました。といってもそこで失礼なことをすると翌日首をはねられるわけですが。それでもかなり「親密」な王だったのは間違いないわけです。

本来は一つのものだったはずの「王」と「神」でしたが、特にヨーロッパでは神と王がかなり距離を持つようになり王の基盤はユルユルだったわけです。
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日本人的自然観。神と日本人。

日本では一神教ではなく多神教のままで今日まで続いています。他の民族に侵略されることもありませんでしたので一神教であることを強要されることもありませんでした。

日本では多神教であるが故に、なかなか「大きな組織」を運営するには至りませんでした。やはり大きな組織に一神教は適したシステムだったのでしょう。
●古代の日本では人口は多くなく、一神教である必要が無かったのかもしれません。

しかしその代わり、日本は珍妙な手段を取るようになりました。多神教という状況を最大限生かした方法です。
神を取り替えるのです。
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大王の発生

これまでは霊力が弱ったリーダーを殺し、新しく霊力の強いリーダーを迎えていました。もちろんかなり原始的な集団の話です。そのリーダーから霊力を分離し、神を作りました。ここまでは一神教と同じです。ここからが日本人的です。

一神教では「神」を唯一絶対にしました。それで大きな組織を運営しようとしたのです。ですが、日本は分離したこの神がダメだったら「新しい神」と取り替えるようにしました。一神教とは真反対です。

今でこそ「神」は絶対と思っている我々にとっては不敬と言わざるをえませんが、実に理にかなった方法です。

弱った神から強い神に乗り換えるのです。リーダー時代と何が違うのでしょうか?? その神を選定し、祀り、場合によっては神を見捨てる決定を下していたのが「大王」であり、後の「天皇」です。
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