第五段一書(六)-3 千人殺し、千五百人生ませる

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第五段一書(六)-3 千人殺し、千五百人生ませる

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原文

第五段一書(六)-3
時伊弉冉尊曰、愛也吾夫君、言如此者、吾當縊殺汝所治国民日將千頭。伊弉諾尊、乃報之曰、愛也吾妹、言如此者、吾則當産日將千五百頭。

因曰、自此莫過、卽投其杖。是謂岐神也。又投其帶。是謂長道磐神。又投其衣。是謂煩神。又投其褌。是謂開囓神。又投其履。是謂道敷神。

其於泉津平坂、或所謂泉津平坂者、不復別有處所、但臨死氣絶之際、是之謂歟。

所塞磐石、是謂泉門塞之大神也。亦名道返大神矣。

現代文訳

第五段一書(六)
第五段一書(六)-2黄泉の国の続き

イザナミは言いました。
「愛おしい私の夫(イザナギ)が『別れる!』と言うのであれば、私はこれから毎日、あなたの治める国の千人の人間の首を絞め殺してやりましょう!」

するとイザナギ
「愛おしい私の妻よ。おまえがそう言うならば、私は一日に千五百人を生ませよう」
と答えました。

それで「ここから先に来てはいけない」と言い、杖を投げました。この杖が岐神(フナド)となりました。

帯も投げました。
この帯が長道磐神(ナガチハ)となりました。

衣を投げました。
この衣が煩神(ワズライ)となりました。

褌(フンドシ)を投げました。
この褌が開囓神 (アキクイ)となりました。

靴を投げました。
その靴が道敷神 (ミチシキ)となりました。
泉津平坂というものは、引き返すことのできない場所というが、死ぬ間際のことをそう呼んだのだろうか?

泉津平坂を岩で塞いだ処を泉門塞之大神(ヨミドノサエノオオカミ)といいます。別名を 道返大神(チガエシノオオカミ)といいます。

つづく
古事記の対応箇所
日本最初の離婚・死の呪い
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解説

人間の生と死
これ以降、人間には死が訪れるようになった、のかどうかは、分からないけど、「死」の起源がこれ。

まぁそれ以前に、イザナミが死んで黄泉の国へ行っているわけで、神に「死」はあったのですね。それはつまり、「死」は神の特権だったのかもしれない。それは考え過ぎか。
離婚するのも一苦労
イザナギイザナミはこれに晴れて離婚。その離婚の中で、岐神(フナド)、長道磐神(ナガチハ)、煩神(ワズライ)、開囓神 (アキクイ)、道敷神 (ミチシキ)、道返大神(チガエシノオオカミ)が生まれます。
これらの神様はどうも「道」に関わる神で、煩神(ワズライ)は服を脱ぐ=「煩わしさから解放される」ということで、一見関係ないような、いや、旅を終えて一息つくというイメージなら「道」に繋がるかと。
オトタチバナ
小戸で「小さい港」の意味なので、「オトタチバナ」という地名かというと、よくわからない。

個人的コラム

これにてイザナギとイザナミは離婚。イザナミは「死の国(=黄泉の国・泉津・根の国)」の住人となります。となると「死の国」は神々が作ったのではなく、元々存在していたことになりますよね。これまでの神話とは系統が違うのではないか?とも思います。

道に関わる神が泉津平坂で生まれる理由
古代において恐怖の一つが疫病でした。疫病を避けるために死者は埋葬され、集落から離れされたはずです。その死の匂いのするものが「穢れ」でした。

それとは別の疫病の感染経路があります。
それは旅人です。
集落の外からやってくる旅人はどんな災厄(疫病)を持っているか分かりません。あちこちを歩いて来ているので、どこで貰っているか、さっぱりです。当時は菌やウィルスという科学的な間隔は皆無ですから、病気とは神や妖怪のなせることであり、祟られたり、憑かれたりした可能性のある身元のはっきりしない旅人は恐怖の対象でした。
●もちろんその一方で富をもたらす可能性もあったでしょう。

それで旅に関わる神が泉津平坂のところで出てくるのではないでしょうか??
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