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宇佐八幡宮(防府市)
漢字・読み | ウサハチマングウ |
概要
住所防府市大字鈴屋840
祭神誉田別命(ホンダワケ=応神天皇)・息長足姫皇后(オキナガタラシヒメ=神功皇后)・「奥津嶋比賣命(オキツシマヒメ)・市寸嶋姫命(イチキシマヒメ)・多岐津姫命(タギツヒメ)」=三女神
飛座船石(ヒザフナイシ)
石の上の八幡さまが現れたことで、伊勢山にあった神社がこの土地に移っています。岩の傍には池があるが、あれが「湧水」なのかは不明。ま、私が行ったときに単に水がたまっていただけかも。
赤さま
石の祠があり、それが赤さま。赤ちゃんの健康祈願の神様です。
祭神誉田別命(ホンダワケ=応神天皇)・息長足姫皇后(オキナガタラシヒメ=神功皇后)・「奥津嶋比賣命(オキツシマヒメ)・市寸嶋姫命(イチキシマヒメ)・多岐津姫命(タギツヒメ)」=三女神
仲哀天皇が居ないな
飛座船石(ヒザフナイシ)
石の上の八幡さまが現れたことで、伊勢山にあった神社がこの土地に移っています。岩の傍には池があるが、あれが「湧水」なのかは不明。ま、私が行ったときに単に水がたまっていただけかも。
赤さま
石の祠があり、それが赤さま。赤ちゃんの健康祈願の神様です。
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物語・由来
由緒書
御創建は宇多天皇の寛平三年(891)佐々木徳寿丸が全国八幡宮の総本社鎮西宇佐神宮に参籠、皇作延長・天下泰平・国家安全・五穀成就・惣民豊楽を奉祈したる御神璽を供奉し、八筈岳中程の伊勢山に鎮祭し創祀とす。その後六四三年を経た後、奈良天皇の天文二年(1523)八幡宮の御璽が現在の社地鈴寶山の大岩上に御飛座の神変出現したが為、久満佐渡左衛門尉重友が寶殿を建立し移祭した。
一五七年を経た元禄三年(1690)社殿焼火す。元禄七年(1694)御神殿を再建、天明五年(1785)幣殿・拝殿を再建し今日に至る。
神態
明應二年(1493)征夷大将軍足利義稙・畠山義豊・細川政元と河内の正覚寺に戦い、敗走して当地に下り、再び大将軍たらんと当宮に参り戦勝祈願のため鐘、太鼓を撃たらしめ、舞踊らしむ。その時より今日に至るまで俗に鐘踊と唱え、毎年例祭にはこれを執行し神意を慰め奉るものである。
古跡
八幡宮古跡は伊勢山と唱え、八筈岳の山腹にあり境内には石垣・石檀・鳥居・燈籠・石の御神堂もあり、又、天より岩上に鎌降り其の名を鎌降石と唱う大岩重なりて其の間に霊松があり(現在は枯木)。依りて其の鎌を神璽とし鎌八幡と唱え奉り一社堂ありしも天保十一年(1840年)御神璽を八幡宮末社真尾鎮座大歳神社へ御相殿とした。
宝物 八幡縁起弐巻
明暦四年(1658年)奉納、神宮皇后三韓征伐併に筑紫に凱旋して皇子御誕生八幡宮御新号の由緒・筑前箱崎八幡宮御鎮際の由緒・同所逆松の由緒・誉田別命三歳の児童と顕れ神勅を告げられし由緒・京都男山八幡宮御分霊の次第・宇佐八幡宮へ和気清麻呂直言の事等種々記載の縁起
大鈴
この地に店より降りしものという平丸くして恰(あたか)も神代の物の如し、之に依り鈴屋と云う。降りし跡、鈴ケ森と唱え、今も残存せり。
太鼓
慶長一六年(1611年)旧領主毛利氏より奉納、豊民秀吉公朝鮮征伐の時の太鼓たりしと云う。
例祭日
歳旦祭り 1月1日
節分祭(厄除け祈願祭) 2月節分の日
祈年祭(春祭り) 5月15日
例大祭(秋祭り) 旧暦8月15日に近い日曜日
新嘗祭(新穀感謝祭) 12月3日
御創建は宇多天皇の寛平三年(891)佐々木徳寿丸が全国八幡宮の総本社鎮西宇佐神宮に参籠、皇作延長・天下泰平・国家安全・五穀成就・惣民豊楽を奉祈したる御神璽を供奉し、八筈岳中程の伊勢山に鎮祭し創祀とす。その後六四三年を経た後、奈良天皇の天文二年(1523)八幡宮の御璽が現在の社地鈴寶山の大岩上に御飛座の神変出現したが為、久満佐渡左衛門尉重友が寶殿を建立し移祭した。
一五七年を経た元禄三年(1690)社殿焼火す。元禄七年(1694)御神殿を再建、天明五年(1785)幣殿・拝殿を再建し今日に至る。
神態
明應二年(1493)征夷大将軍足利義稙・畠山義豊・細川政元と河内の正覚寺に戦い、敗走して当地に下り、再び大将軍たらんと当宮に参り戦勝祈願のため鐘、太鼓を撃たらしめ、舞踊らしむ。その時より今日に至るまで俗に鐘踊と唱え、毎年例祭にはこれを執行し神意を慰め奉るものである。
古跡
八幡宮古跡は伊勢山と唱え、八筈岳の山腹にあり境内には石垣・石檀・鳥居・燈籠・石の御神堂もあり、又、天より岩上に鎌降り其の名を鎌降石と唱う大岩重なりて其の間に霊松があり(現在は枯木)。依りて其の鎌を神璽とし鎌八幡と唱え奉り一社堂ありしも天保十一年(1840年)御神璽を八幡宮末社真尾鎮座大歳神社へ御相殿とした。
宝物 八幡縁起弐巻
明暦四年(1658年)奉納、神宮皇后三韓征伐併に筑紫に凱旋して皇子御誕生八幡宮御新号の由緒・筑前箱崎八幡宮御鎮際の由緒・同所逆松の由緒・誉田別命三歳の児童と顕れ神勅を告げられし由緒・京都男山八幡宮御分霊の次第・宇佐八幡宮へ和気清麻呂直言の事等種々記載の縁起
大鈴
この地に店より降りしものという平丸くして恰(あたか)も神代の物の如し、之に依り鈴屋と云う。降りし跡、鈴ケ森と唱え、今も残存せり。
太鼓
慶長一六年(1611年)旧領主毛利氏より奉納、豊民秀吉公朝鮮征伐の時の太鼓たりしと云う。
例祭日
歳旦祭り 1月1日
節分祭(厄除け祈願祭) 2月節分の日
祈年祭(春祭り) 5月15日
例大祭(秋祭り) 旧暦8月15日に近い日曜日
新嘗祭(新穀感謝祭) 12月3日
若干分かりやすく引用
宇多天皇の時代891年に佐々木徳寿丸が宇佐八幡宮…宇佐神宮(大分県宇佐市)から皇作延長・天下泰平・国家安全・五穀成就・惣民豊楽を祈って神様を八筈岳中程の伊勢山に祀って建てました。
その後奈良天皇の時代1523年に八幡さまが鈴寶山の飛座船石の上に現れたので久満佐渡左衛門尉重友が神社を移設しました。
●神社の中に石があり、その石の上に八幡さまが現れたことが神社を移設した理由となっています。
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性格・能力
腰輪踊り
旧暦8月16日近くの日曜日(9月下旬…秋分の日近く)に宇佐八幡宮例祭腰輪踊り(コシワオドリ)があります。からんこ踊り、なもうぜん、とも呼ばれます。豊作と虫よけの祈願です。子供12人が花笠や鶏冠飾り笠をかぶって腰にカラフルな布をつけて踊ります。
参考:腰輪踊り(宇佐八幡宮)
旧暦8月16日近くの日曜日(9月下旬…秋分の日近く)に宇佐八幡宮例祭腰輪踊り(コシワオドリ)があります。からんこ踊り、なもうぜん、とも呼ばれます。豊作と虫よけの祈願です。子供12人が花笠や鶏冠飾り笠をかぶって腰にカラフルな布をつけて踊ります。
参考:腰輪踊り(宇佐八幡宮)
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