景行天皇(五)妃達とその皇子と皇女

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景行天皇(五)妃達とその皇子と皇女

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原文

天皇聽之、仍喚八坂入媛爲妃。生七男六女、第一曰稚足彦天皇、第二曰五百城入彦皇子、第三曰忍之別皇子、第四曰稚倭根子皇子、第五曰大酢別皇子、第六曰渟熨斗皇女、第七曰渟名城皇女、第八曰五百城入姫皇女、第九曰麛依姫皇女、第十曰五十狹城入彦皇子、第十一曰吉備兄彦皇子、第十二曰高城入姫皇女、第十三曰弟姫皇女。又妃三尾氏磐城別之妹水齒郎媛、生五百野皇女。次妃五十河媛、生神櫛皇子・稻背入彦皇子、其兄神櫛皇子、是讚岐国造之始祖也、弟稻背入彦皇子、是播磨別之始祖也。次妃阿倍氏木事之女高田媛、生武国凝別皇子、是伊豫国御村別之始祖也。次妃日向髮長大田根、生日向襲津彦皇子、是阿牟君之始祖也。次妃襲武媛、生国乳別皇子與国背別皇子一云宮道別皇子・豊戸別皇子、其兄国乳別皇子、是水沼別之始祖也、弟豊戸別皇子、是火国別之始祖也。
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現代語訳


天皇はこれを聞いて、八坂入媛(ヤサカイリビメ)を呼び寄せて妃にしました。八坂入媛は7人の男の子と6人の女の子を生みました。

第一子は稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト=成務天皇)
第二子は五百城入彦皇子(イホキイリビコノミコ)
第三子は忍之別皇子(オシノワケノミコ)
第四子は稚倭根子皇子(ワカヤマトネコノミコ)
第五子は大酢別皇子(オオスワケノミコ)
第六子は渟熨斗皇女(ヌノシノヒメミコ)
第七子は渟名城皇女(ヌナキノヒメミコ)
第八子は五百城入姫皇女(イホキイリビメノミコ)
第九子は麛依姫皇女(カゴヨリヒメノヒメミコ)
第十子は五十狹城入彦皇子(イサキイリビコノミコ)
第十一子は吉備兄彦皇子(キビノエヒコノミコ)
第十二子は高城入姫皇女(タカキイリビメノヒメミコ)
第十三子は弟姫皇女(オトヒメノヒメミコ)

別の妃の三尾氏磐城別(ミオノウジノイワキワケ)の妹の水齒郎媛(ミズハノイラツメ)は五百野皇女(イホノヒメミコ)を生みました。

次の妃の五十河媛(イカワヒメ)は神櫛皇子(カムクシノミコ)・稻背入彦皇子(イナセノイリビコノミコ)を生みました。
兄の神櫛皇子(カムクシノミコ)は讚岐国造(サヌキノクニノミヤツコ)の始祖です。弟の稻背入彦皇子(イナセノイリビコノミコ)は播磨別(ハリマノワケ)の始祖です。

次の妃の阿倍氏木事(アベノウジノコゴト)の娘の高田媛(タカタヒメ)は武国凝別皇子(タケクニコリワケノミコ)を生みました。伊豫国(イヨノクニ)の御村別(ミムラノワケ)の始祖です。

次の妃の日向髮長大田根(ヒムカノカミナガオオタネ)は日向襲津彦皇子(ヒムカノソツビコノミコ)を生みました。阿牟君(アムノキミ)の始祖です。

次の妃の襲武媛(ソノタケヒメ)は国乳別皇子(クニチワケノミコ)と国背別皇子(クニソワケノミコ)
ある伝では宮道別皇子(ミヤジワケノミコ)といいます

と豊戸別皇子(トヨトワケノミコ)を生みました。兄の国乳別皇子(クニチワケノミコ)は水沼別(ミズマノワケ)の始祖です。弟の豊戸別皇子(トヨトワケノミコ)は火国別(ヒノクニノワケ)の始祖です。
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