枯野船から500籠の塩を作り

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応神天皇(十九)枯野船から500籠の塩を作り

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現代語訳

即位31年秋8月。群卿(マヘツノキミタチ=臣下たち)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「官船(ミヤケノフネ=宮家の船)を枯野(カラノ)と名付けるのは伊豆国(イズノクニ)から献上された船だからです。朽ちて使用に耐えられなくなりました。しかし久しく官用(オオヤケモノ=公的な使用)となっていて、その功績は忘れてはいけない。どうにかして、その船の名前を絶たないで、後葉(ノチノヨ=後世)に伝えられないだろうか?」
群卿(マヘツノキミタチ)は詔を受けて、有司(ツカサ=官僚)に命令して、その船の材(キ)を取って、薪(タキギ)として塩を焼きました。それで500籠(コ=籠いっぱいが500個という意味)を得ました。それを周囲の諸国に与えました。それで船を作りました。それで諸国は一斉に500船を献上しました。全ての船が武庫水門(ムコノミナト=兵庫県尼崎市武庫川)に集まりました。
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解説

枯野船
枯野船は応神天皇(四)千葉の葛野を見れば……で伊豆国に作らせた船のことです。これが耐用年数を超えたのだけど、「枯野」って名前は残したいよね。だって凄い役に立ったもんね、という天皇の思いつきが話の発端。

この感覚の中には「モノ」という日本の独特の価値観があると思われます。日本人の世界観には「霊」があり、その霊が形を表したものが「物」です。よって無機質なものであっても「霊」は存在します。形ある「物」には全て「霊」が存在すると考えています。中でも「役に立つ物」は強い「霊」を持っていると考えています。だから役に立った「枯野船」はせめてその名前だけでも残したいと思うし、枯野船の燃えかすから「琴」を作ると良い音が出るという結末も出てくるわけです。

枯野船を薪にして塩を作る、というのは分かるのですが、塩を諸国に与えると船を作った、というのがピンと来ない。どうやら、現代でも船の進水式で「塩」を供えることと関係があるよう。
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原文

卅一年秋八月、詔群卿曰「官船名枯野者、伊豆國所貢之船也、是朽之不堪用。然久爲官用、功不可忘、何其船名勿絶而得傳後葉焉。」群卿便被詔、以令有司取其船材爲薪而燒鹽、於是得五百籠鹽、則施之周賜諸國、因令造船。是以、諸國一時貢上五百船、悉集於武庫水門。
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