茅原の、浅茅原の王の弟だ

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顕宗天皇(六)茅原の、浅茅原の王の弟だ

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現代語訳

寿(ホ=祝いの言葉を歌うこと)き終わって、節(コトノオリ=歌の節)に合わせて、歌を歌いました。
稲蓆(イナムシロ) 川副楊(カワソイヤナギ) 水行けば 靡(ナビ)き起き立ち その根は失せず
歌の訳(「稲蓆」は川の枕詞)川に沿って生えている柳の木の枝は、水の流れによって、なびいたり、立ったりしているが、その根は失せない。

小楯は語って言いました。
「可怜(オモシロ)いな。願わくば、また聴きたい」
天皇はついに殊儛(タツヅノマイ)を踊りました。
殊儛を古くは立出儛(タツヅノマイ)といいます。立出は陀豆々(タツヅ)といいます。舞う姿は、立ち、あるいは座って舞います。

そして叫んで言いました。
「倭(ヤマト)! さやさやと音がする茅原(チハラ)の、浅茅原(アサチハラ)の王の弟だ。わたしめは!」
小楯はこれを聞いて深く奇異に思いました。それで更に唱わせました。天皇は叫んでいいました。
「石上の布留御魂大神の杉の木の根元を伐採して、末(スエ=枝)を切って払い作った、市辺宮(イチノヘノミヤ)で天下を治めた、天万国万押磐尊(アメノヨロヅクニヨロヅオシハノミコト)の子孫です。わたしめは!」
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解説

稲蓆(イナムシロ) 川副楊(カワソイヤナギ) 水行けば 靡(ナビ)き起き立ち その根は失せず
川の柳の木は川の流れに枝が流されてしまうのですが、根は動かない。時代の中で翻弄されることはあっても、その根は変わらない。そういう顕宗天皇と仁賢天皇の境遇を歌ったようでもあります。

しかし、藤原が栄えた平安時代に「古い時代に柳の木が風に吹かれて動いても根は動かないといったように」と藤原氏を褒め讃える歌があるように、「柳の木」に人生を例えるというのが古くからの「パターン」だったとも思われます。無論、そこに顕宗天皇と仁賢天皇の境遇を重ねたからここで「歌った」のは間違いないかと。
天下を治める
石上の山の杉の木で作った宮で天下を治めた……その人物が顕宗天皇と仁賢天皇の父親である「市辺宮押磐皇子」です。しかし天下を治めるというのはどういう意味なのでしょうか。天皇だけが天下を治めるものではないか? では押磐皇子は天皇だったのか?

天皇という言葉はどうやら記紀が成立する頃になってやっと生まれたようです。しかしそれ以前から「スメラミコト」という言葉はあったはずです。スメラミコトに「天皇」という字が当てられたのが意外と新しいというだけです。

天皇(スメラミコト)はわたしたちが想像するような「王」とは違っていたと思います。強い権力を持っているのではなく、各地方との利害調整が天皇の大きな役割だった。現代で言うところの「貿易経済会議」のような…例えばTPPの議長が天皇(スメラミコト)だったのではないか?と思うのです。

天下という言葉はこの世界の全てを表しているはずです。だから「天下」は二つも三つもあってはいけません。もしも押磐皇子が天下を治めていた、となると押磐皇子は天皇でないといけない。しかし、それはあり得ない。でも、もしも天皇という存在が「貿易経済会議の議長」という役割だったらどうでしょうか。

つまり、「生協」と「農協」みたいなものです。生協のトップと農協のトップは並存していても問題は無い。それらの商圏やジャンルさえ被らなければ、問題は無い。それが日本書紀でいうところの「天下」なんじゃないか?と思うのです。だから天下は並存できた。では生協が農家の苗や農薬の販売をしたらどうなるか? 農協は仕事を失う。当然、生協と農協で戦いが起きるでしょう。日本の記紀神話での権力争いというのは、そういう意味なんじゃないか?と思っています。

つまり、日本の「価値観」で解いていかないと記紀神話は奇妙にしか見えない。どうしても古代のものは、中国の儒教の視点から考えがちになりますよね。
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原文

壽畢、乃赴節歌曰、

伊儺武斯蘆 呵簸泝比野儺擬 寐逗喩凱麼 儺弭企於巳陀智 曾能泥播宇世儒

小楯、謂之曰「可怜、願復聞之。」天皇、遂作殊儛。殊儛、古謂之立出儛。立出、此云陀豆々。儛狀者、乍起乍居而儛之。誥之曰、

倭者彼々茅原 淺茅原弟日 僕是也

小楯由是、深奇異焉。更使唱之、天皇誥之曰、

石上振之神榲(榲、此云須擬。)伐本截末伐本截末、此云謨登岐利須衞於茲婆羅比。於市邊宮治天下 天萬国萬押磐尊御裔 僕是也
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