犬養部の設置・桜井田部連、県犬養連、難波吉士を税の司らせる

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安閑天皇(十三)犬養部の設置・桜井田部連、県犬養連、難波吉士を税の司らせる

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現代語訳

(即位2年)秋8月1日。詔(ミコトノリ)して国国の犬飼部(イヌカイベ)を置きました。

9月3日。桜井田部連(サクライノタベノムラジ)・県犬養連(アガタノイヌカイノムラジ)・難波吉士(ナニワノキシ)たちに詔(ミコトノリ)して、屯倉の税(タチカラ)をつかさどらせました。13日。別に大連に勅(ミコトノリ)して言いました。
「牛を難波の大隈嶋(オオスミシマ)と媛嶋松原(ヒメシマノマツバラ)に放て、願わくば、名を後に残そう」
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解説

犬養部
狩猟のための犬か、番犬としての犬か。とよく言われます。わたしは別の理由があったと思っています。「穀物神」の依り代としての犬です。日本人は山に神が住んでいて、その神が郷に降りてきて、田畑に宿って穀物や野菜ができると考えていました。では山の神はどうやって郷に降りるのか? それが鹿・猿・猪といった動物で、ある地域では鳥だった。その依り代の動物のひとつが「犬」だったんじゃないかと。

日本人は依り代である動物を食べることができませんでした。それは神が宿っている可能性があるからです。しかし、動物を放置していると里の畑を荒らします。神が宿るというのは日本人の設定であって、動物は基本的に農業では「害獣」であることがほとんどです。そこで、「犬」を買う。犬は依り代でありつつ、同時に害獣である「鹿」「猪」を田畑に近づけさせないための番犬でもあったんじゃないかと思います。
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原文

秋八月乙亥朔、詔置國々犬養部。九月甲辰朔丙午、詔櫻井田部連・縣犬養連・難波吉士等、主掌屯倉之税。丙辰、別勅大連云「宜放牛於難破大隅嶋與媛嶋松原。冀垂名於後。」
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