善信尼の帰国・新たな出家と徳斉法師

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崇峻天皇(十四)善信尼の帰国・新たな出家と徳斉法師

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現代語訳

即位3年春3月。学問を習いに行った尼の善信(ゼンシン)たちが百済から帰って来て、桜井寺(サクライデラ=向原寺・豊浦寺)に行き、滞在しました。

冬10月に山に入って寺の材木を取りました。

この年(即位3年)に度(イエデ=出家)した尼は、大伴狹手彦連(オオトモノサデヒコノムラジ)の娘の善徳(ゼントク)・大伴狛夫人(オオトモノコマノイロエ)・新羅媛善妙(シラキヒメゼンミョウ)・百済媛妙光(クダラヒメミョウコウ)、また漢人の善総(ゼンソウ)・善通(ゼンツウ)・妙徳(ミョウトク)・法定照(ホウジョウショウ)・善智総(ゼンチソウ)・善智恵(ゼンチエ)・善光(ゼンコウ)たちです。鞍部司馬達等(クラツクリノシメダチト)の子の多須奈(タスナ)も同時に出家しました。名付けて徳斉法師(トクサイホウシ)といいます。
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解説

最後の鞍部司馬達等の子の多須奈(徳斉法師)以外は「尼」です。徳斉法師が日本人で最初の「僧(尼ではないという意味で)」です。

僧より尼が先・・・この辺りは日本人の「女性の方が霊威が強く、宗教的業務は女性が適しているという感覚」があってこそです。というのも、仏教は男尊女卑で、男は解脱できても、女は解脱できないと考えているから、女性は一段下であり、尼(女)より僧(男)の方が先なんですよね。普通の優先順位としては。
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原文

三年春三月、學問尼善信等、自百濟還、住櫻井寺。冬十月、入山取寺材。是歲、度尼、大伴狹手彦連女善德・大伴狛夫人・新羅媛善妙・百濟媛妙光、又漢人善聰・善通・妙德・法定照・善智聰・善智惠・善光等。鞍部司馬達等子多須奈、同時出家。名曰德齊法師。
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