厩戸豊聡耳皇子命の死

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推古天皇(四十九)厩戸豊聡耳皇子命の死

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現代語訳

即位29年春2月5日。半夜(ヨナカ=夜中)に厩戸豊聡耳皇子命(ウマヤトノトヨトミミノミコノミコト=聖徳太子)が斑鳩宮(イカルガノミヤ)で亡くなりました。この時、諸々の王(オオキミ)・諸々の臣と天下(アメノシタ)の百姓は全員、長老や愛する児を失ったようになって、塩や酢の味が口にあっても分からないほどでした。年少の幼いものは、愛する父母が失ったように、慟哭し泣いた声、行く道に満ちました。耕す夫(=農夫)は耜(スキ)を止めて、稲をつく女からは杵の音がしなくなりました。皆、言いました。
「日と月は輝きを失い、天地はすでに崩れました。今より以後、誰に頼ればいいのか」
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解説

褒めすぎ
儒教では徳治主義ですから、立派な人がトップになるものです。だからトップが死んでしまうということは、立派な人が亡くなったわけですから、これは悲しい。だから儒教国の韓国では今でも、葬儀に「泣き女」がいます。
死後に「死んだことがいかに悲しいか」を訴えることで、いかに素晴らしい人かを主張すると。まぁ、重要人物が亡くなったことがいかに悲しいかを主張するのかは儒教に限ったことじゃないんですが。

でも、「愛する児を亡くしたみたい」とか「塩味も酸っぱさも分からなくなる」とか「農作業も止まる」というのは、何か元ネタがあってそれを持ってきたのでしょう。それは間違いなく儒教のものだったはずです。
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原文

廿九年春二月己丑朔癸巳、半夜、厩戸豊聰耳皇子命薨于斑鳩宮。是時、諸王諸臣及天下百姓、悉長老、如失愛兒而鹽酢之味在口不嘗、少幼、如亡慈父母以哭泣之聲滿於行路。乃耕夫止耜、舂女不杵、皆曰「日月失輝、天地既崩。自今以後、誰恃哉。」
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