孝徳天皇(五十三)事後処理・14人の斬首と9人の絞首

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孝徳天皇(五十三)事後処理・14人の斬首と9人の絞首

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原文

庚午、山田大臣之妻子及隨身者、自經死者衆。穗積臣嚙、捉聚大臣伴黨、田口臣筑紫等、着枷反縛。是夕、木臣麻呂・蘇我臣日向・穗積臣嚙、以軍圍寺。喚物部二田造鹽、使斬大臣之頭。於是、二田鹽仍拔大刀、刺舉其宍、叱咤啼叫而始斬之。甲戌、坐蘇我山田大臣而被戮者、田口臣筑紫・耳梨道德・高田醜(醜此云之渠)・額田部湯坐連(闕名)秦吾寺等、凡十四人。被絞者九人、被流者十五人。

現代語訳

(即位5年3月)26日。山田大臣の妻子と随身者(トモビト=従者)は自殺して死ぬ者が多かった。穗積臣嚙(ホズミノオミクイ)は大臣の伴党(トモガラ=仲間=一族)の田口臣筑紫(タグチノオミツクシ)たちを捕らえ集めて、枷(クビカシ=首に填める枷)をつけて、反(シリデ=手を背中に回して)に縛りました。この夕方に木臣麻呂(キノオミマロ)・蘇我臣日向(ソガノオミヒムカ)・穗積臣嚙は軍を率いて寺を囲みました。物部二田造塩(モノノベノフツタノミヤツコシオ)を呼び寄せて、大臣の頭(クビ)を切らせました。二田塩はすぐに太刀を抜いて、その宍(シシ=人間の肉体)を刺し、叱咤し叫んで、切り始めました。
3月30日。蘇我山田大臣に関わって、殺されたものは、田口臣筑紫(タグチノオミツクシ)・耳梨道徳(ミミナシノドウトコ)・高田醜雄(タカタノシコオ)…
醜は之渠と言います。

額田部湯坐連(ヌカタベノユエノムラジ)…
名前は漏れて分かりません。

秦吾寺(ハダノアテラ)など、全員で14人。首をよじり窒息死させたものは9人。流されたものは15人。
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解説

わざわざ物部を呼び寄せて殺させたのは、物部が穢れを恐れない特殊な氏族だからでしょう。彼らはだからこそ、かつて蘇我氏と敵対することができた。

律令では「死刑」には二種類ありました。斬首と首絞めです。頭を切り離す方が重い罰だったのでしょう。だから斬り殺された14人と首を絞めて殺された9人を分けた。
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