孝徳天皇(四十九)即位4年の出来事・四天王寺に霊鷲山の像を

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孝徳天皇(四十九)即位4年の出来事・四天王寺に霊鷲山の像を

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原文

四年春正月壬午朔、賀正焉。是夕、天皇、幸于難波碕宮。

二月壬子朔、遣於三韓(三韓、謂高麗・百濟・新羅)學問僧。己未、阿倍大臣、請四衆於四天王寺迎佛像四軀、使坐于塔內、造靈鷲山像、累積鼓爲之。

夏四月辛亥朔、罷古冠。左右大臣、猶著古冠。是歲、新羅遣使貢調。治磐舟柵、以備蝦夷。遂選越與信濃之民、始置柵戸。

現代語訳

即位4年春1月1日。賀正(ミカドオガミ=お正月の儀式)をしました。この夕も天皇は難波碕宮に行きました。

2月1日。三韓(ミツノカラクニ)…
三韓とは高麗・百済・新羅をいます。

に学問僧(モノナラウホウシ)を派遣しました。
2月8日に阿倍大臣(アヘノオオオミ)は四衆(ヨクサノオコナイヒト=比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)を四天王寺に請願して集めて、仏像4体を迎えて、塔の中に居らせました。霊鷲山(リョウジュセン=釈迦の浄土)の像を作った。鼓を累積して作りました。
夏4月1日。古い冠をやめました。左右大臣は、なお古い冠を被りました。
この年、新羅は使者を派遣して貢調(ミツキ)を献上しました。磐舟柵(イワフネノキ=新潟県村上市岩船の柵【防衛施設】)を作って、蝦夷に備えました。越と信濃の民を選んで、初めて柵戸(キノヘ=柵に置く屯田兵)を置きました。
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解説

比丘・比丘尼
僧と尼のこと。
優婆塞・優婆夷
在家の信者の男性と女性のこと。
三韓とは高麗・百済・新羅をいます。
今さら、こんなことを注釈で入れるのは、書き始めた本の順番が「早い」からじゃないかと思われます。

斉明天皇のあたりから蝦夷征伐の記事が増えます。そこで「柵」という単語がよく出るようになります。
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