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孝徳天皇(四十八)金春秋を人質に・渟足柵の設置
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新羅、遣上臣大阿飡金春秋等、送博士小德高向黑麻呂・小山中中臣連押熊、來獻孔雀一隻・鸚鵡一隻。仍以春秋爲質。春秋美姿顏善談笑。造渟足柵、置柵戸。老人等相謂之曰、數年鼠向東行、此造柵之兆乎。
現代語訳
新羅は上臣(マカリダロ)の大阿飡(ダイアサン)の金春秋(コムシュンシュウ)たちを派遣して、博士の小徳の高向黒麻呂(タカムクノクロマロ)・小山中(ショウセンチュウ=冠位26回の17位)の中臣連押熊(ナカトミノムラジオシクマ)を見送り、来て、孔雀を1隻・鸚鵡(アウム=オウム)を1隻を献上しました。そして春秋を人質としました。春秋は姿顔が美しくて、善で、談咲(ホタキコト=誇らしく話す)しました。渟足柵(ヌタリノキ…ヌタリは新潟県新潟市沼垂【ヌッタリ】のこと=柵は木材を連ねた防衛施設)を作って、柵戸(キノヘ=柵に配置した屯田兵)を置きました。老人たちは語って言いました。
「数年、鼠が東に向いて行くには、この柵を作る兆しだったのか」
「数年、鼠が東に向いて行くには、この柵を作る兆しだったのか」
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解説
即位2年に鼠が東へ行ったという記述があります。
これが「柵」を作る兆しとしたわけです。
新潟に柵を作ったのは蝦夷対策でしょう。
柵を作らなくちゃいけないということは、かなり蝦夷の関係が悪化したのでしょう。
これが「柵」を作る兆しとしたわけです。
新潟に柵を作ったのは蝦夷対策でしょう。
柵を作らなくちゃいけないということは、かなり蝦夷の関係が悪化したのでしょう。
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