斉明天皇(十五)阿倍臣の蝦夷国の征伐

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斉明天皇(十五)阿倍臣の蝦夷国の征伐

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現代語訳

(即位5年)この月(=3月)に阿倍臣(アヘノオミ)…
名が漏れていて分かりません。

を派遣して、船師(フナイクサ)を180艘を率いて、蝦夷国を征伐しました。阿倍臣は飽田(アギタ=秋田)・渟代(ヌシロ=能代)の2つの郡の蝦夷241人とその捕虜の31人。津軽郡の蝦夷112人とその捕虜4人。胆振鉏(イフリサエ=地名だが未詳)の蝦夷20人を一箇所に選んで集めて、大きな宴会をして、禄を与えました。
胆振鉏は伊浮梨娑陛(イフリサエ)と言います。

すぐに船1隻と五色の綵帛(シミノキヌ=五色に染めた絹)でその土地の神を祀りました。肉入籠(シシリコ=地名?)に到着しました。その時に、問菟(トイウ=地名?)の蝦夷の膽鹿嶋(イカシマ=人名)・菟穗名(ウホナ=人名)の二人が進んで言いました。
「後方羊蹄(シリヘシ=地名?)で政治を行う土地とするべきです」
肉入籠此は之々梨姑(シシリコ)と言います。問菟は塗毗宇(トイウ)と言います。菟穗名は宇保那(ウナホ)と言います。後方羊蹄は斯梨蔽之(シリヘシ)と言います。政所(マツリゴトドコロ)は、おそらく蝦夷の郡ではないか?

胆鹿嶋(イカシマ)たちの言葉に従って、郡領(コオリノミヤツコ)を置いて帰りました。道奥(ミチオク=陸奥)と越(コシ)の国司に位をそれぞれに2階と郡領(コオリノミヤツコ)と主政(マツリゴトヒト)をそれぞれに1階授けました。
ある本によると、阿倍引田臣比羅夫(アヘノヒケタノオミヒラブ)は粛慎(ミシハセノクニ=異民族)と戦って帰りました。捕虜を49人献上しました。
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解説

斉明天皇即位4年には左大臣の巨勢徳太臣(コセノトコダノオミ)がほぼ同じ経路で蝦夷の征伐を行っています。
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原文

是月、遣阿倍臣闕名率船師一百八十艘討蝦夷國。阿倍臣簡集飽田・渟代二郡蝦夷二百卌一人・其虜卅一人・津輕郡蝦夷一百十二人・其虜四人・膽振鉏蝦夷廿人、於一所而大饗賜祿。(膽振鉏、此云伊浮梨娑陛。)卽以船一隻與五色綵帛、祭彼地神。至肉入籠時、問菟蝦夷膽鹿嶋・菟穗名二人進曰、可以後方羊蹄爲政所焉。(肉入籠此云之々梨姑、問菟此云塗毗宇、菟穗名此云宇保那、後方羊蹄此云斯梨蔽之。政所、蓋蝦夷郡乎)。隨膽鹿嶋等語、遂置郡領而歸。授道奧與越國司位各二階、郡領與主政各一階。(或本云、阿倍引田臣比羅夫、與肅愼戰而歸、獻虜卅九人。)
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