天智天皇(十六)百済王の善光王は難波に・劉仁願と郭務悰の来日

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天智天皇(十六)百済王の善光王は難波に・劉仁願と郭務悰の来日

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現代語訳

(即位3年)3月。百済王の善光王(ゼンコウオウ)たちを難波に居らせました。星が有り、京(ミヤコ)の北に落ちました。この春に地震がありました。

夏5月17日。百済の鎮将(チンショウ=占領軍司令官?)の劉仁願(リュウジンガン=唐の武将、蘇定方の部下)は朝散大夫(チョウサンダイブ)の郭務悰(カクムソウ)たちを派遣して、表函(フミヒツ)と献上物を差し出しました。

この月、大紫(ダイシ)の蘇我連大臣(ソガノムラジノオオオミ=蘇我石川麻呂の弟?)が亡くなりました。
ある本には、大臣が亡くなったのは5月だと記してありました。

6月。嶋皇祖母命(シマノスメミオヤノミコト=天智天皇の祖母)が亡くなりました。
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解説

善光王(ゼンコウオウ)
義慈王の弟か子かは分からないですが、親族ではないかと思われます。百済の滅亡で、日本に亡命してきた。
劉仁願
劉仁願は唐の武将。中国の歴史書などにも記述がある。
郭務悰(カクムソウ)
ここにしか記述はなく、海外の歴史書にも記述のない名前です。この人物がなぜ日本に来たのか?はよく分かりません。唐が日本に百済占領の「了解」を得るためだったとも言われています。
大臣が亡くなったのは5月?

5月の記事の注釈に「ある本によると5月に亡くなった」とあるのですが、何かの間違い。扶桑略記には蘇我連子(ソガノムラジコ=武羅自)が亡くなったと書いてあるので、このことではないかと言われています。
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原文

三月、以百濟王善光王等、居于難波。有星、殞於京北。是春、地震。

夏五月戊申朔甲子、百濟鎭將劉仁願、遣朝散大夫郭務悰等、進表函與獻物。是月、大紫蘇我連大臣薨。或本、大臣薨注五月。六月、嶋皇祖母命薨。
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