天武天皇(二十)乃楽山の攻防・古京の盾

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天武天皇(二十)乃楽山の攻防・古京の盾

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原文

壬辰、將軍吹負、屯于乃樂山上。時、荒田尾直赤麻呂、啓將軍曰、古京是本營處也、宜固守。將軍從之。則遣赤麻呂・忌部首子人、令戍古京。於是、赤麻呂等、詣古京而解取道路橋板・作楯、堅於京邊衢以守之。癸巳、將軍吹負、與近江將大野君果安戰于乃樂山、爲果安所敗、軍卒悉走。將軍吹負、僅得脱身。於是、果安追至八口、仚而視京毎街竪楯、疑有伏兵乃稍引還之。

現代語訳

(即位元年)7月3日。将軍の吹負(フケイ)は乃楽山(ナラヤマ)の上に駐屯しました。その時、荒田尾直赤麻呂(アラタオノアタイアカマロ)は将軍に申し上げて言いました。
「古京(フルキミヤコ=飛鳥の都)は元は陣営の場所です。固く守るべきです」
将軍は従いました。赤麻呂(アカマロ)・忌部首子人(イミベノオビトコビト)を派遣して、古京を守らせました。赤麻呂たちは古京に詣り、道路の橋の板を解いて取り、盾を作って、京のほとりの街を固く守りました。
7月4日。将軍の吹負は近江の将軍の大野君果安(オオノノキミハタヤス)と乃楽山で戦いました。果安に敗れて、軍卒(イクサビトドモ=兵士)は全員、走って逃げました。将軍の吹負はなんとか脱出して、その身を助かりました。果安は追いかけて、八口(ヤクチ=地名だが未詳)に到着して、登って京(ミヤコ)を見ると、町ごとに盾が有りました。伏兵があると疑って、引き帰しました。
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解説

橋を解いて、盾を作って、町に置いていた。奈良山で戦いに敗れたのですが、山の上から見ると、町に盾がポコポコと置いてある。それを見て、伏兵がいると思って、追撃されなかった、ってお話。ちょっと出来過ぎですね。儒教の道徳の本のような、作り話か、粉飾があるのではないかと。
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