持統天皇(二十二)京と畿内の80歳以上に稲を20束与える

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持統天皇(二十二)京と畿内の80歳以上に稲を20束与える

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現代語訳

(即位4年)2月5日。天皇は腋上陂(ワキノカミノイケノツツミ=奈良県御所市井戸)に行き、公卿大夫(マヘツキミタチ=臣下たち)の馬を観ました。
2月11日。新羅の沙門(ホウシ)の詮吉(センキチ)・級飡(キュウサン=新羅の官位)の北助知(ホクジョチ)たち50人が帰化しました。
2月17日。天皇は吉野宮に行きました。
2月19日。内裏(オオウチ)で設斎(オガミ)をしました。
2月25日。帰化した新羅の韓奈末の許満(コマ)たち12人を武蔵国に居住させました。

3月20日。京と畿内の人で年齢が80歳以上のものに、嶋宮(シマノミヤ)の稲を、一人当たり20束を与えました。そのうち位があるものには布2端を加えて与えました。
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解説

相変わらず新羅から帰化するものが多いな。
80歳以上のものに支給
老人を敬う敬老精神でしょうけど、この時代に80歳って相当な高齢者のはずです。いるだけで珍しいはずなんですが、我々が思っているよりも高齢社会だったのかもしれない。

魏志倭人伝には90歳の人がたくさんいる、と書いてあるのですが、私はこれを「二倍歴」じゃないのか?と踏んでいます。まぁ、中国の歴史書って結構、雑に書いてあるので、あんまり当てにできないという意見もありますが。

その90歳ってのもあながち、二倍歴ではなくて、嘘じゃないのかも。
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原文

二月戊申朔壬子、天皇幸于腋上陂、觀公卿大夫之馬。戊午、新羅沙門詮吉・級飡北助知等五十人歸化。甲子、天皇幸吉野宮。丙寅、設齋於內裏。壬申、以歸化新羅韓奈末許滿等十二人、居于武藏国。三月丁丑朔丙申、賜京與畿內人、年八十以上者、嶋宮稻人廿束。其有位者、加賜布二端。
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