天皇陛下と呼ばれるようになったのはいつか?

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天皇陛下と呼ばれるようになったのはいつか?

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天皇陛下と呼ばれるようになったのはいつか?

まとめ
●757年養老律令に「天皇は陛下」「皇后と皇太子は殿下」と記述がある。
●明治に皇室典範が施行。これ以降は天皇と皇后の敬称が陛下となる。
●戦後に皇室典範は廃止され、現行の皇室典範が施行されるが、敬称は明治のそれと同じ。
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陛下とは?

日本では天皇は「天皇陛下」と呼ばれます。単に陛下と書いても、それは暗に天皇陛下を指していることになります。つまり陛下というのは天皇の敬称で、天皇以外では使われない敬称ということです。
では「陛下」とはどういう意味があるのでしょうか。
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陛下の意味と歴史的成立

陛下というのは階段の下という意味です。
この言い方は中国の最初の皇帝、秦の始皇帝の時代からあったようです。後漢の時代の蔡邕(サイヨウ)によると、秦の時代、臣下は皇帝に直接、意見を述べるのではなく、その意見を一旦、下の階の担当者に伝えて、その担当者が改めて意見を皇帝に述べるという形式を取っていたことが由来としています。

それが日本に伝わり天皇も陛下と呼ぶようになったようです。ただ、日本ではまどろっこしい形式は取っていないので、名前だけのことですが。日本で陛下という敬称が正式に採用されたのは養老律令(757年)から。この時は天皇だけの敬称でした。皇后・皇太子は殿下でした。これが皇室典範(1898年明治22年)の改正で、天皇だけでなく皇后も敬称は「陛下」となりました。明治の皇室典範は戦後1947年に廃止され、現在の皇室典範が施行されるのですが、ここにも天皇と皇后の敬称は陛下とあるので、やっぱり天皇と皇后の敬称が陛下なんですね。
現在、美智子皇后は「美智子皇后陛下」とは呼ばれない。これが、美智子皇后が皇室出身ではないからなのか?どうかはなんとも言えない。

中国と朝鮮での「陛下」

ところで中国の皇帝の敬称は「陛下」ですが、后・皇后の敬称はなんだろうかと調べてみたのですが、よくわかりませんでした。呼び捨てってことは無いでしょう。何かの敬称はあったハズです。日本の養老律令で「皇后は殿下」とあるので、中国でも殿下なのかもしれません。
●wikipediaを見ると西太后の敬称が「陛下」になっているんです。

朝鮮の陛下
一方、朝鮮では李氏朝鮮までは実質、中国の属国でした(ただし朝鮮人は認めないが)。なので王も王妃も李氏朝鮮までは皆「殿下」が敬称でした。当時の状況で陛下と呼んだとしたら、これは「独立宣言」に近いことです。すぐに中国が軍隊を派遣して、殺されてしまいます。しかし、日本が日清戦争に勝ち、朝鮮が「大韓帝国」として独立すると、王ではなく皇帝となり、皇帝と皇后の敬称は陛下に変更。こういうことを考えると、朝鮮半島を後に併合するとはいえ、日本にとって朝鮮は「属国」という認識ではなかったということになります。あくまで独立国家として運営していくものだ、という考えだったのでしょうね。

個人的な考え

日本が明治に天皇と皇后の敬称を陛下にしたのは、朝鮮の経緯を考えると「天皇を中心とした独立国家だぞ!」という意味だったのでしょう。ここで皇后も陛下にしたのは、中国がそうだったから、なのかもしれませんね。明治維新を明治改元とすると1868年。敬称が陛下となっている西太后の権力掌握が1861年です。それ以前の皇后の敬称が何なのかは分かりませんが、少なくとも明治維新の時点では「陛下」であり、明治の皇室典範の成立の1898年もまだ西太后はまだ存命でした(西太后の死は1908年)。

となると天皇・皇后の敬称は中国(西太后)に習ったのではないかなと。
●中国ではあるが、清は漢民族ではなく満州族の王朝。

ところで西太后というと悪女として名が残っているのですが、これらの逸話のほとんどが「嘘」です。中国は儒教国で、王朝が変わると前の王朝がいかに悪いものだったのかを主張します。これは儒教が道徳で権力者が選ばれるという考えのためです。だから中国では王朝が変わるとまず歴史書を編纂します。その歴史書は新しい王朝にとって都合が良いほどに前の王朝をこき下ろす内容になります。しょうがないっちゃしょうがないんですよ。

西太后が死んで3年後1911年には辛亥革命が始まります。西太后は格好の批判材料です(王朝が違うし、民族も違う)。だから悪評は間に受けてはいけない。虚像なんですよ。西太后は若しやすると中国を改革しようともがいた有志だったのかもしれないのです。

当時は日本とタイ以外は列強に蹂躙されていました。中国も例に漏れず、アヘン戦争以降はもう無茶苦茶でした。西太后はその最中にあり、彼女にもその責任はあるものの、どうにかしようともがいたのではないか。その結果が権力闘争だった。

皇后に陛下とつけたのは、もしかすると、そういう西太后のあり方があったのかもしれませんね。
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