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大海神社(住吉大社)
漢字・読み | ワダツミジンジャ |
概要
物語・由来
神の変遷
現在の祭神は豊玉彦・豊玉姫という漠然とした名前となっています。豊玉姫は山幸彦と結ばれた海神の娘の名前ですが、豊玉姫というのは「すごい価値のある姫」とか「たくさんの宝石を持ってる姫」とかみたいな漠然とした名前で、同じ女神を指しているのかはこれだけではハッキリとはしない。仮に豊玉姫が古事記・日本書紀の豊玉毘売ならば豊玉彦は山幸彦であり、火遠理命(ホオリノミコト)もしくは彦火火出見(ヒコホホデミ)となっていしまう。
10世紀にまとめられた延喜式神名帳には「大海神社 二座 元名津守氏人神」とあるので、このときから2柱あり、津守氏の神だったことは間違いない。ただ具体的な神の名がない。17世紀・18世紀に書かれた「神名帳考証」では大綿津見命(オオワダツミノミコト)・玉依姫命(タマヨリヒメ)とこれまた海幸山幸神話の関係者。
19世紀に書かれた「神祇志料」では塩土老翁・豊玉姫命・彦火々出見尊とまたまた海幸山幸神話の関係者で占められる。また大海神社の脇の「玉井」という井戸には潮が満ちてくるという「潮満珠」があるという伝承もある。
これらを考えると、大海神社の周辺は、海幸山幸神話と関係の深い土地だった。海幸山幸の神話は元は東南アジア、それが台湾沖縄を通じて九州に伝わった。それが大阪に伝わった。それが神武天皇と関係あるかはわからないけども、貿易を通じてこの土地に根を下ろした。津守氏は古来から海に関係する氏族で、最初はこの大海神社の海神を信仰していた。だけども、どこかで住吉の神に切り替えた。
ということではないか?と。
こういうことを考えると海幸山幸の神話は決して古事記編纂時に急ごしらえに用意した神話ではなく、日本にしっかりと根付いた神話だったと考えたほうが妥当だと思いますね。
現在の祭神は豊玉彦・豊玉姫という漠然とした名前となっています。豊玉姫は山幸彦と結ばれた海神の娘の名前ですが、豊玉姫というのは「すごい価値のある姫」とか「たくさんの宝石を持ってる姫」とかみたいな漠然とした名前で、同じ女神を指しているのかはこれだけではハッキリとはしない。仮に豊玉姫が古事記・日本書紀の豊玉毘売ならば豊玉彦は山幸彦であり、火遠理命(ホオリノミコト)もしくは彦火火出見(ヒコホホデミ)となっていしまう。
10世紀にまとめられた延喜式神名帳には「大海神社 二座 元名津守氏人神」とあるので、このときから2柱あり、津守氏の神だったことは間違いない。ただ具体的な神の名がない。17世紀・18世紀に書かれた「神名帳考証」では大綿津見命(オオワダツミノミコト)・玉依姫命(タマヨリヒメ)とこれまた海幸山幸神話の関係者。
19世紀に書かれた「神祇志料」では塩土老翁・豊玉姫命・彦火々出見尊とまたまた海幸山幸神話の関係者で占められる。また大海神社の脇の「玉井」という井戸には潮が満ちてくるという「潮満珠」があるという伝承もある。
これらを考えると、大海神社の周辺は、海幸山幸神話と関係の深い土地だった。海幸山幸の神話は元は東南アジア、それが台湾沖縄を通じて九州に伝わった。それが大阪に伝わった。それが神武天皇と関係あるかはわからないけども、貿易を通じてこの土地に根を下ろした。津守氏は古来から海に関係する氏族で、最初はこの大海神社の海神を信仰していた。だけども、どこかで住吉の神に切り替えた。
ということではないか?と。
こういうことを考えると海幸山幸の神話は決して古事記編纂時に急ごしらえに用意した神話ではなく、日本にしっかりと根付いた神話だったと考えたほうが妥当だと思いますね。
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