山代の筒木の宮に物申す我が兄の君は涙ぐましも

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山代の筒木の宮に物申す我が兄の君は涙ぐましも

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読み下し文

故、是の口子の臣、此の御歌を白す時に大きに雨(アメフ)りき。 爾くして其の雨を避らずして前の殿戸に參い伏せば、違いて後の戸を出で、後の殿戸に參い伏せば、違いて前の戸を出でき。 爾くして匍匐い進み赴きて庭中に跪きし時に、水潦腰に至りき。 其の臣、紅の紐を著けたる青摺の衣を服たり。 故、水潦紅の紐に拂れて青きは皆紅の色に變りき。 爾くして口子の臣の妹、口日賣、大后に仕え奉りき。 故、是の口日賣、歌いて曰く、

夜麻志呂能 都都紀能美夜邇 母能麻袁須 阿賀勢能岐美波 那美多具麻志母

爾くして大后、其の由を問う時に、答えて白さく「僕の兄、口子の臣なり。」
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現代語訳

この口子臣(クチコノオミ)がこの歌を歌うときに大雨が降りました。雨を避けずに前の殿戸(トノト=御殿の表の戸)に参上して伏していると、入れ違いに後ろの戸に(大后が)出て、後ろの戸に参って伏していると、入れ違って前の戸から出ました。それで腹ばいになって進んで庭の中央で跪いていると、水潦(ニワタズミ=にわか雨などで溢れた水のこと)は腰まで来ました。口子臣(クチコノオミ)は赤い紐がついた青摺(アオズリ=藍染の青い服)の衣を着ていました。水潦(ニワタヅミ)が赤い紐に触れて青が赤い色に変色してしまいました。その口子臣の妹の口日売(クチヒメ)は大后に仕えていました。この口日売(クチヒメ)が歌いました。

山代の 筒木の宮に 物申す 我が兄の君は 涙ぐましも
歌の訳山代の筒木の宮殿で物申す(=歌を伝えようとする)我が兄は涙ぐましいものがあるなぁ


大后がその歌の意味を問うと、口日売(クチヒメ)は答えました。
「わたしの兄が口子臣(クチコノオミ)です」
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解説

和爾臣の伝承
これらの物語と歌はおそらくは和爾臣の家に伝わっていた伝承だったと思われます。それが実際に「大后」の物語であったかどうかは怪しいというか、関係無かったと個人的には思います。

これらの一連のお話ってのが、能や狂言……特に狂言に近い、はっきり言えば「コント」のようなもので、それを演じる舞台ってのがあったんじゃないかと。それを古事記に取り込んだのではないかと。
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