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八田の 一本菅は 子持たず
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天皇、八田の若郎女を戀いて御歌を賜い遣りき。其の歌に曰く、
夜多能 比登母登須宜波 古母多受 多知迦阿禮那牟 阿多良須賀波良 許登袁許曾 須宜波良登伊波米 阿多良須賀志賣
爾くして八田の若郎女、答えて歌いて曰く、
夜多能 比登母登須宜波 比登理袁理登母 意富岐彌斯 與斯登岐許佐婆 比登理袁理登母
故、八田の若郎女の御名代と爲て八田部を定めき。
夜多能 比登母登須宜波 古母多受 多知迦阿禮那牟 阿多良須賀波良 許登袁許曾 須宜波良登伊波米 阿多良須賀志賣
爾くして八田の若郎女、答えて歌いて曰く、
夜多能 比登母登須宜波 比登理袁理登母 意富岐彌斯 與斯登岐許佐婆 比登理袁理登母
故、八田の若郎女の御名代と爲て八田部を定めき。
現代語訳
天皇は八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)を恋しく思って、御歌を送りました。
八田の 一本菅(ヒトモトスゲ)は 子持たず 立ち荒れなむ あたら菅原 言をこそ 菅原と言はめ あたら清(スガ)し女(メ)
八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)が答えて歌いました。
八田の 一本菅は 独り居りとも 大君し よしと聞こさば 独り居りとも
八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)の御名代(ミナシロ=名を残すための土地)として八田部(ヤタベ)を定めました。
八田の 一本菅(ヒトモトスゲ)は 子持たず 立ち荒れなむ あたら菅原 言をこそ 菅原と言はめ あたら清(スガ)し女(メ)
歌の訳八田(奈良県大和郡山市矢田町)の一本菅は子供も持たないで立ったまま枯れてしまいます。もったいないなぁ、菅の原っぱ。言葉では菅原と言っているが、もったいない清々しい女だ。
八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)が答えて歌いました。
八田の 一本菅は 独り居りとも 大君し よしと聞こさば 独り居りとも
歌の訳八田の一本菅は一人で居ても構いません。大君がそれで良いと思っているのならば、一人で居ても構いません。
八田若郎女(ヤタノワキイラツメ)の御名代(ミナシロ=名を残すための土地)として八田部(ヤタベ)を定めました。
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解説
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