乙女の い隠る丘を 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥ぬるもの

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乙女の い隠る丘を 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥ぬるもの

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書き下し文

また天皇、丸邇の佐都紀の臣の女、袁杼比賣に婚わんとして春日に幸行しし時に、媛女、道に逢いき。即ち幸行すを見て岡の邊に逃げ隱りき。故、御歌を作りき。其の歌に曰く、
袁登賣能 伊加久流袁加袁 加那須岐母 伊本知母賀母 須岐婆奴流母能
故、其の岡を號けて金鋤岡と謂う。

現代語訳

雄略天皇は丸邇(ワニ)の佐都紀臣(サツキノオミ)の娘の袁杼比売(オドヒメ)と結婚しようとして春日(カスガ)へといった時に媛女(オトメ)と道で会いました。天皇が行くのを見て、岡の辺に逃げ隠れました。それで歌を作りました。
乙女の い隠る丘を 金鋤も 五百箇もがも 鋤き撥ぬるもの
歌の訳乙女が隠れた岡を、金属の鋤(スキ)が500個もあれば、岡を鋤でならしてしまえば(見つけ出せるのになぁ)。

その岡を名付けて金鋤岡(カナスキノオカ=地名だけど未詳)といいます。
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解説

丸邇の佐都紀臣は倭国添上郡和迩の土地を本貫としている氏族です。のちに春日に移って春日臣と呼ばれるようになりました。
結婚の儀式
日本では結婚するときに一旦、嫁が逃げるというのが儀式になっているようです。だから「乙女が隠れた岡を鋤でならして見つけ出す」というのはそういう儀式の歌だったんじゃないかと思います。
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