虻が腕を噛んで、その後すぐに蜻蛉がそのアブを食べて飛んで行きました。

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虻が腕を噛んで、その後すぐに蜻蛉がそのアブを食べて飛んで行きました。

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書き下し文

即ち阿岐豆野に幸して御獦せし時に、天皇、御呉床に坐しき。爾くして虻御腕を咋いしに即ち蜻蛉來て其の虻を咋いて飛びき【蜻蛉を訓みて阿岐豆と云う】。ここに御歌を作りき。其の歌に曰く、
美延斯怒能 袁牟漏賀多氣爾 志斯布須登 多禮曾 意富麻幣爾麻袁須 夜須美斯志 和賀淤富岐美能 斯志麻都登 阿具良爾伊麻志 斯漏多閇能 蘇弖岐蘇那布 多古牟良爾 阿牟加岐都岐 曾能阿牟袁 阿岐豆波夜具比 加久能碁登  那爾淤波牟登 蘇良美都 夜麻登能久爾袁 阿岐豆志麻登布
故、其の時より其の野を號けて阿岐豆野と謂う。
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現代語訳

阿岐豆野(アキズノ=地名だが未詳、吉野離宮の付近か?)に天皇が行き、狩りをしたとき、天皇は御呉床(ミアグラ=座る神聖な台座)に座りました。それで虻(アブ)が天皇の腕を噛んで、その後すぐに蜻蛉(アキヅ)がそのアブを食べて飛んで行きました。それを見て歌を作りました。
み吉野(エシノ)の 小室(コムロ)が岳に 猪鹿(シシ)伏(フ)すと 誰(タレ)そ 大前(オオマエ)に奏(マオ)す やすみしし 我が大君(オオキミ)の 猪鹿(シシ)待つと 胡坐(アグラ)にいまし 白栲(シロタエ)の 袖(ソデ)着そなふ 手腓(タコムラ)に 虻掻き付き その虻を  蜻蛉(アキヅ)早食い かくのごと 名に負はむと そらみつ 倭の国を 蜻蛉島(アキヅシマ)とふ
歌の訳吉野の袁牟漏(峰群)岳(コムロダケ=国栖荘小村=現在の奈良県吉野郡東吉野村小村)に猪や鹿といった獣がいると誰かが、大前(=天皇の前で)申し上げたものですから、(ヤスミシシは我が大君の枕詞)我が大君が猪や鹿を待つと呉床(アグラ=神聖な台座)で胡座をかいて座って、(「しろたえ」は袖の枕詞)袖も付いた服を着て、手腓(タコムラ=コムラはふくらはぎのことで手腓で腕の膨らみのこと)に虻が食いついた。その虻を蜻蛉(アキヅ=トンボ)がサっと食べた。このようなことがあったから(「そらみつ」は倭の枕詞)倭の国を蜻蛉島(アキヅシマ)と名付けよう。

この時より、その野を名付けて阿岐豆野(アキヅノ)と言います。
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解説

アキヅノの地名説話
日本のことを「アキヅ」と呼ぶ理由に関しては別の説が日本書紀にありました。
参考卅有一年夏四月乙酉朔 日本の美称
神武天皇が即位して31年。夏4月1日。
天皇は国内を見て回りました。
腋上(ワキガミ)の嗛間丘(ホホマノオカ)に登りました。
そして国を状況を見回して言いました。
「あぁ!!!
良い国を得たものだ!
内木錦之眞迮国(ウツユウノマサキクニ)ではあるが、蜻蛉(アキツ=トンボのこと)が繋がっているようでもあるなぁ」

ちなみに「ソラミツ」が倭の枕詞になっている理由も上記のページに書いてあります。
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