田所明神社(府中町)

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田所明神社(府中町)

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概要

祭神 安芸津彦命(アキツヒコノミコト) 槻瀬明神(ツキノセミョウジン) 大国主命(オオクニヌシミコト) 飽速玉命(アキハヤタマノミコト) 市杵島姫命(イシキシマヒメノミコト=宗像三女神) 宇迦之御魂神(ウカノミタマ) 事代主(コトシロヌシ
住所〒735-0007 広島県安芸郡府中町石井城1丁目6−16

物語・由来

由緒書き
等神社は成務帝(=成務天皇・人皇13代 西暦135年)の御世に阿伎国造として奉命された飽速玉命を主祭神として7柱の神を守護神として祀られている。命の子孫●後500年、広島市佐伯区五日市町三宅に住む。朝廷より田所職を置かれ、大化の改新の後、府中に国庁が置かれた。田所家は代々その職に任じ、故に屋号として。往古田所職は厳島明神、速谷明神、多家神に永代勅使代として、神祭に挑み政務を司った。

田所総判官代信職をはじめ歴代国府上卿職は厳島明神の定勅使を勤めた。中古より国庁神社の神事を中心に氏子の農耕養蚕商業によって生活の基礎が進められてきた。大正5年11月多家神社社司田所元善(竹槌)が、国庁神社・槻瀬明神・大黒社三社の御祭神を合祀し田所明神社と改め、氏子万民とともに盛大な御遷座祭が斉行され国家安泰、家内安全、五穀豊穣等、神明に加護を祈った田所明神社は万民崇敬者の家内安全・農耕安産生育・厄除け・学業成就・商業繁栄等において霊験あらたかで神威明照御神徳高く尊崇篤き神社である。
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田所って

佐伯か田所か
国造として赴任した人物がいて、それが後に「田所職」という仕事を与えられて、その田所を名前として使うようになった。佐伯と同祖と考えていいんじゃないかと。どっちが分家で本家はわからないけど。それが平安時代。その子孫が大正時代に幾つかの神社をまとめて作ったのが田所明神社ということです。
神について
安芸津彦命(アキツヒコノミコト)と飽速玉命(アキハヤタマノミコト)は「同じ神」の別名でしょう。この安芸津彦というのは「広島」安芸の国を作った神様ですから、「元国造」としている田所が祀るのは当然っちゃ、当然。市杵島姫命(イシキシマヒメノミコト)は安芸の宮島の厳島神社の女神の一人。「田所」は厳島神社の神主でもあった佐伯の同祖ですから、これが入るのは当然。宇迦之御魂神(ウカノミタマ)は俗にいう「お稲荷さん」つまり稲荷神社の神様です。事代主(コトシロヌシ)は俗に言う「恵比寿様」です。ここまでの神様は、まぁ、普通というか、ありきたりです。どこの神社にいっても境内の中に一緒にある神社です。由緒書きにある「国家安泰・五穀豊穣等・万民崇敬者の家内安全・農耕安産生育・厄除け・学業成就・商業繁栄」のモリモリの霊験はいろいろと有名どころを抑えているからこそのことです。

問題は槻瀬明神(ツキノセミョウジン) 。これが全然わからない。おそらくこの近くにあった神社なんでしょう。槻瀬の「槻」はケヤキの木のこと。
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