安芸の宮島

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安芸の宮島

漢字・読みアキノミヤジマ
別名厳島神社
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概要

広島県廿日市市。安芸国一宮。
瀬戸内海に浮かぶ島。厳島神社があります。厳島という呼び名と宮島という呼び名の間に明確な差はありません。イツクシマというのが言いにくいので「宮島」と呼ばれることが多いです。宮島というのは宮がある島という意味。
厳島神社は宗像三女神であるイチキシマヒメ、タキリビメ、タギツヒメを祀ります。厳島(イツクシマ)という名前はイチキシマヒメから転化したもの。
古来よりの神の島
宗像三女神を祀ったのは593年。それ以前から島そのものが神とされてきた。島では耕作し農業することが禁じられていた。また死人は島内で葬らず本州で葬った。出産も島内で行わず、生理のときも島内に特別設けた小屋で過ごした。
山の神と女性(この話は厳島とは関係ないかも)
農民は昔から山の神が春に麓に降りてきて「田の神」になると考えていました。山の神は「女神」で、特に女性の血をケガレとして嫌いました。山ノ神は醜いとされ、オコゼを供えます。山ノ神に海の魚のオコゼを供えるのは不思議ですが、宮島を見る限りはさほど不思議ではありませんね。ただ宮島にはオコゼを供える風習はありません。
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物語・由来

宗像三女神
この女神はアマテラススサノオ誓約の際に生まれた女神で、名前や生まれた順は違えど古事記でも日本書紀でも同様の女神が生まれています。この誓約には記述違いか辻褄の合わないことが多く、日本神話を読んでいて投げ出しくたくなるくだりです。
宗像三女神は胸形君(ムナカタノキミ・宗像君とも)という九州北部から朝鮮半島に続く海路を支配した地方豪族の氏神。地方豪族とはいえ、娘を天武天皇の妃(尼子娘アマコノイラツメ)にするなど大和朝廷にかなりの影響力があったと考えられています。そのため宗像三女神は「海上安全」の女神であり、宮島の厳島神社を現在のような独特な作りにした平清盛は日宋貿易の海上安全を狙って創設したと考えられています。
日本書紀・古事記には大した活躍なし
これら女神は物語の中では、ただ生まれるだけで活躍はありません。しかしアマテラススサノオ誓約で生まれ、国家神として重要視されています。
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性格・能力

宮島に参拝したカップルは破局する
そんなジンクスがあります。

神社や関連する土地

歴史背景

元々が神の島とされ、宮島内にある「弥山(ミセン)」という山も「御山」から転じたもので、「弥勒菩薩」とは無関係。そしてその後宗像三女神を祀る様に成ります。といっても、この時点では全国の航路にある「厳島神社」の一つに過ぎません。これを壮麗で世界に二つとない海上神殿に作ったのが平清盛。平清盛は、この特殊な神社を作ることで権威を知らしめるという目的がありました。建立記念式典は非常に盛大だったそうです。
海上に作った?
砂浜・御笠浜に立つ神社。満潮時には神殿が浮かんでいるよう。実際、神社は砂浜に柱を打ち込んでいるのではなく、重みで乗っているだけ。非常に高い建築技術です。高さは16.8m、重量は60t。柱は樹齢500年のクスノキを利用していることから、改築の際は材料を見つけるのだけでも苦労です。長いこと厳島神社の神殿は、「島自体がご神体なので、島に神殿を作ってはいけない、島を傷つけることになる」という理由から海上に作られたのだと考えられてきましたが、どうも、神殿がある場所は陸を削って海にしたというのが分かってきました。

では、何故わざわざ陸を削ってまで海上に作ったのか??

宮島はよく土砂崩れがおきます。200年に一回は非常に大きな土砂崩れが起きていることが分かっています。海上に作ったのは、それから逃れるためではないでしょうか。平清盛は他にもいくつもの伝説を残していますが、土木工事関連が多いです。
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個人的コラム

実は結婚式だけではなく、神殿で雅楽のコンサートなども開かれる文化的神社だったりします。宮島の鹿は奈良の影響です。鹿は全く人を恐れず、それどころか食べ物を恵んでくれると思うと、群れて襲ってくるほどです。フェリー乗り場で貰ったパンフレットを鹿に食べさせないようにしましょう。

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