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雄略天皇(三十九)白い鸕鷀がいたから川瀬舎人を置く
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十一年夏五月辛亥朔、近江国栗太郡言「白鸕鷀、居于谷上濱。」因詔、置川瀬舍人。
現代語訳
即位11年夏5月1日。近江国栗太郡(オウミノクニノクルモトノコオリ=滋賀県草津市栗太郡)は言いました。
「白い鸕鷀(ウ)が谷上浜(タナカミノハマ=栗太郡の大戸川と瀬田川の合流)に居ます」
それで詔(ミコトノリ)して川瀬舎人(カワセノトネリ=川瀬は近江国犬上郡川瀬の舎人)を置かせました。
「白い鸕鷀(ウ)が谷上浜(タナカミノハマ=栗太郡の大戸川と瀬田川の合流)に居ます」
それで詔(ミコトノリ)して川瀬舎人(カワセノトネリ=川瀬は近江国犬上郡川瀬の舎人)を置かせました。
解説
近江国栗太郡の報告で白い鵜が居るよーとあって、それを受けて川瀬舎人を置いた。というお話。訳本では近江国犬上郡川瀬と近江国栗太郡は地域が違うので、ちょっと変だな、と書いてあるのですが「川瀬」というのは地名じゃなくて、単に「川の瀬の」というザックリした役職の名前と考えれば、問題は無いかと。
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