木工鬪鶏御田の冤罪と秦酒公の琴の声

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雄略天皇(四十二)木工鬪鶏御田の冤罪と秦酒公の琴の声

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原文

十二年夏四月丙子朔己卯、身狹村主靑與檜隈民使博德、出使于吳。冬十月癸酉朔壬午、天皇、命木工鬪鶏御田(一本云「猪名部御田」蓋誤也)始起樓閣。於是、御田登樓、疾走四面、有若飛行、時有伊勢采女、仰觀樓上、怪彼疾行、顚仆於庭、覆所擎饌。(饌者、御膳之物也)。天皇、便疑御田姧其采女、自念將刑而付物部。時秦酒公、侍坐、欲以琴聲使悟於天皇、横琴彈曰、
柯武柯噬能 伊制能 伊制能奴能 娑柯曳鳴 伊裒甫流柯枳底 志我都矩屢麻泥爾 飫裒枳瀰爾 柯拕倶 都柯陪麻都羅武騰 倭我伊能致謀 那我倶母鵝騰 伊比志拕倶彌皤夜 阿拕羅陀倶彌皤夜
於是天皇、悟琴聲而赦其罪。
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現代語訳

即位12年夏4月4日。身狭村主青(ムサノスグリアオ)と檜隈民使博德(ヒノクマノタミノツカイハカトコ)を呉(クレ)に使者として出しました。

冬10月10日。天皇は木工鬪鶏御田(コダクミツケノミタ)に命令して初めて楼閣(タカドノ)を作りました。
ある本に猪名部御田(イナベノミタ)というのはおそらくは誤りです。

御田は楼(タカドノ)に登って(仕事をする姿は)、四面(ヨモ)に疾走し、飛ぶようでした。その時、伊勢の采女(ウネメ)がいて、楼の上を仰ぎ見て、その飛ぶように行く姿を妖しく思って、庭につまづいて倒れて、捧げる饌(ミケツモノ)をこぼしてしまいました。
饌者とは御膳之物(ミケツモノ)です。

天皇はたちまち御田をその采女を犯したと疑って、処刑しようと思って、物部に引き渡しました。その時、秦酒公(ハタノサケノキミ)はそばに居て、琴の声で天皇に悟らせようと思いました。琴を横にして引いて言いました。
神風(カムカゼ)の 伊勢の 伊勢の野の 栄枝(サカエ)を 五百(イホ)振る折(カ)きて 其(シ)が尽くるまでに 大君に 堅く 仕へ奉(マツ)らむと 我が命も 長くもがと 言ひし工匠(タクミ)はや あたら工匠はや
歌の訳(「神風の」は伊勢の枕詞)伊勢の、その伊勢の野原に立つ、茂った木の枝が、何百年もの風雪の中でたくさん折れて、やがてそれが尽きてしまうまで、大君に堅く仕えましょう。我が命もそれほどに長くあればなぁ、と言っていた工匠が、なんと惜しい工匠が!

天皇は琴の声から悟って、その罪を許しました。
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解説

青と博徳
さらっとまた呉国に使者として出張しています。

工匠の価値
日本は工匠を高く評価していた、のだと思われます。
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