御井隈の文石小麻呂を春日小野臣大樹が退治する

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雄略天皇(四十四)御井隈の文石小麻呂を春日小野臣大樹が退治する

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原文

秋八月、播磨国御井隈人、文石小麻呂、有力强心肆行暴虐、路中抄劫不使通行、又斷商客艖䑧悉以奪取、兼違国法不輸租賦。於是天皇、遣春日小野臣大樹、領敢死士一百並持火炬、圍宅而燒。時、自火炎中、白狗暴出、逐大樹臣、其大如馬。大樹臣、神色不變、拔刀斬之、卽化爲文石小麻呂。

現代語訳

(即位13年)秋8月。播磨国の御井隈(ミイクマ)の人の文石小麻呂(アヤシノオマロ)は力があり心が強いと言われていました。ほしいままに行動し、暴虐(アシクサカサマナルワザ)でした。路中に抄劫(チイ=?=長期間の略奪のことかと)して、道行く人が通えないようにしました。また、商人の航路を止めて、すべてを奪い取りました。国の法を違えて、租税・使役を納めませんでした。それで天皇は春日小野臣大樹(カスガノオノノオミオオキ)を派遣して、敢死士(タケキヒト=死もいとわない兵士)を100人、並びに火炬(トモシビ)を持ち、宅(イエ)を囲んで焼きました。その時に火炎の中から白い狗(イヌ)が暴れ出て大樹臣(オオキノオミ)を追いました。その大さは馬のようでした。大樹臣は神色(タマシイオモヘリ=魂の色=感情=顔色)を変えずに、刀を抜いて斬り殺しました。すると文石小麻呂になりました。
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解説

播磨国の御井隈がどこの土地かはハッキリしません。通訳には播磨国讃容郡御井村(=現在の兵庫県佐用郡のどこか)とあるのですが、この佐用郡には「海」がなく、そのあとの「斷商客艖䑧」という表現に合わない、とされるのですが、「船」という意味で使われる「艖䑧」は小舟を指していて、川の船だったのかも。

また、もしかすると、この物語は佐用郡がかつて「海に面していた頃に成立した」のかもしれません。まぁ、御井隈が「讃容郡御井村」のこととも限らないので、推測の上の推測で怪しいですが。
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