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雄略天皇(四十)呉国出身の貴信の子孫が琴彈壃手屋形麻呂
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秋七月、有從百濟国逃化來者、自稱名曰貴信、又稱貴信吳国人也。磐余吳琴彈壃手屋形麻呂等、是其後也。
現代語訳
(即位11年)秋7月。百済国から逃げて帰化した者がいました。自ら名乗って貴信(くゐしん)といいます。また、本人が言うには貴信(くゐしん)は呉国の人だといいます。磐余(イワレ)の呉の琴彈壃手屋形麻呂(コトヒキサカテノヤカタマロ)たちは、この子孫です。
解説
呉
百済から逃げてきた「琴を弾く人」が磐余の「坂手(サカテ)」という土地に住んで、そこから子孫が後々までいるよね。というお話。
それで百済から来た、この貴信さんは自称「呉国」から来た人ということになっています。日本書紀に「自称」と書いてあるってことは、昔から「本当に呉国から来たのかな?自分ではそう言ってるけど信用できないなぁ」と思っていたのでしょう。
ところで貴信という名前は、まーどー考えても「朝鮮っぽい名前」じゃないんですよ。だから百済人じゃないってのは本当っぽい。ただ、本当に呉国(中国南部)から来たかどうかは怪しい。
百済から逃げてきた「琴を弾く人」が磐余の「坂手(サカテ)」という土地に住んで、そこから子孫が後々までいるよね。というお話。
それで百済から来た、この貴信さんは自称「呉国」から来た人ということになっています。日本書紀に「自称」と書いてあるってことは、昔から「本当に呉国から来たのかな?自分ではそう言ってるけど信用できないなぁ」と思っていたのでしょう。
ところで貴信という名前は、まーどー考えても「朝鮮っぽい名前」じゃないんですよ。だから百済人じゃないってのは本当っぽい。ただ、本当に呉国(中国南部)から来たかどうかは怪しい。
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雄略天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page36 雄略天皇(三十六)角臣の始まり
- Page37 雄略天皇(三十七)伯孫は赤毛の馬と葦毛の馬を交換する(土馬の起源)
- Page38 雄略天皇(三十八)呉国からのガチョウを水間君の犬が噛み殺す
- Page39 雄略天皇(三十九)白い鸕鷀がいたから川瀬舎人を置く
- Page40 雄略天皇(四十)呉国出身の貴信の子孫が琴彈壃手屋形麻呂
- Page41 雄略天皇(四十一)直丁の批判から鳥養部が設置される
- Page42 雄略天皇(四十二)木工鬪鶏御田の冤罪と秦酒公の琴の声
- Page43 雄略天皇(四十三)歯田根命は山辺小嶋子と姦通し罪を問われる
- Page44 雄略天皇(四十四)御井隈の文石小麻呂を春日小野臣大樹が退治する
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