父の仇とは同じ天を戴かない

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顕宗天皇(十七)父の仇とは同じ天を戴かない

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原文

二年春三月上巳、幸後苑曲水宴。是時、喜集公卿大夫・臣連国造伴造、爲宴、群臣頻稱萬歲。

秋八月己未朔、天皇、謂皇太子億計曰「吾父先王、無罪而大泊瀬天皇射殺、棄骨郊野、至今未獲。憤歎盈懷、臥泣行號、志雪讎恥。吾聞、父之讎不與共戴天、兄弟之讎不反兵、交遊之讎不同国。夫匹夫之子、居父母之讎、寢苫枕干不仕、不與共国、遇諸市朝、不反兵而便鬪。況吾立爲天子二年于今矣、願壤其陵摧骨投散。今以此報、不亦孝乎。」

現代語訳

即位2年春3月の上巳(カミノミノヒ)に後苑(ミソノ)に行き、曲水宴(メグリミズノトヨノアカリ)を催しました。このときに側近の公卿大夫・臣・連・国造・伴造を集めて宴会をしました。群臣は頻(シキ)りに、万歳(ヨロコビ)を称しました。

秋8月1日。天皇は皇太子の奥計(オケ=顕宗天皇の兄で後の仁賢天皇)に語って言いました。
「わたしの父の先王(ウシノキミ)は罪はないのに、大泊瀬天皇(オオハツセノスメラミコト=雄略天皇)は射殺し、遺骨を郊野(ノラ=そこいらへんの原っぱ)に遺棄して、今に至っても遺骨は得られていない(従者の骨と一緒になっていて正確にはわからない状態)。憤り、嘆く気持ちで心がいっぱいになっている。伏して泣き、歩いて号泣しているが、この仇と恥を雪(キヨ)めたいと思っている。わたしは聞く。父の仇とは同じ天を戴かないものだ。兄弟の仇とは武器を持って接するもので、取りに帰るなどということはない。交遊した友人の仇とは同じ国には住めない。卑しい身分の子であっても、父母の仇が居れば、ムシロで寝て辛苦に耐え、楯を枕にして、官職につかない。仇とはおなじ国に住まない。どこかの道や広場で出会えば、武器を取りに帰ることもなく、すぐに戦う。ならば、わたしが天子(ミカド)となって今や2年となったなら、なおさらだろう。願わくば、雄略天皇の陵(ミサザキ=墓)を壊して骨を砕いて投げ散らしたい。今、これを持って報復としないならば、何が親孝行というのだろうか!」
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解説

曲水宴
曲水宴に関しては「顕宗天皇(十五)曲水宴と山部連小楯」にもあります。前回も今回も「日付」の記述が他のものと違いますね。
親孝行
儒教では「あなたはなぜ生まれたのか?」という問いに対して「父親がいるから」という答えが用意されています。父親がいなければあなたは存在できない。だから父親が大事。ということです。よって親孝行ってのはとても大事なことです。その中で父親の仇を取ることは大事です。

しかしすでに死んだ人間の骨を撒き散らすことが「復讐」になるのか?という問題があります。これは日本人では全くピンとこない話です。

実はこれに関しては日本人が特殊なんですね。日本人は死んだら「人間は霊体になる」と考えていて「死んだ人間は鎮めないといけない」と思っています。霊体ということは神であり、神ということは何をするか分からないからです。だから死んだ後に遺体を掘り返して仇と取るというのは、日本人には無い感覚です。そんなことしても意味が無い。それどころか霊体に祟られるかもしれません。死んだらお終い。これが日本人の感覚です。
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