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顕宗天皇(二十)月の神の宣託・歌荒樔田に祠を立てる
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三年春二月丁巳朔、阿閉臣事代、銜命、出使于任那。於是、月神、著人謂之曰「我祖高皇産靈、有預鎔造天地之功、宜以民地、奉我月神。若依請獻我、當福慶。」事代、由是、還京具奏。奉以歌荒樔田(歌荒樔田者、在山背国葛野郡也)、壹伎縣主先祖押見宿禰、侍祠。
現代語訳
即位3年2月1日。阿閉臣事代(アヘノオミコトシロ)は命を受けて、日本を出て、任那に使者として行きました。すると月神(ツキノカミ)が人間に神掛かって言いました。
「わたしの祖先の高皇産霊(タカミムスビノミコト)は最初に天地が溶けあったものを作った功績があります。民地(カキトコロ)を我が月神に奉りなさい。もし、この請うままにわたしに献上するならば、福慶(サイワイヨロコビ=幸福と慶び)があるだろう」
事代(コトシロ)はそれで京(ミヤコ=ここでは大和のこと)に帰って詳細に申し上げました。それで歌荒樔田(ウタアラスダ=山城国葛野郡の宇太村)を月の神へと奉りました。
壱岐県主(イキノアガタヌシ)の先祖の押見宿禰(オシミノスクネ)が祠(マツリ)に仕えました。
「わたしの祖先の高皇産霊(タカミムスビノミコト)は最初に天地が溶けあったものを作った功績があります。民地(カキトコロ)を我が月神に奉りなさい。もし、この請うままにわたしに献上するならば、福慶(サイワイヨロコビ=幸福と慶び)があるだろう」
事代(コトシロ)はそれで京(ミヤコ=ここでは大和のこと)に帰って詳細に申し上げました。それで歌荒樔田(ウタアラスダ=山城国葛野郡の宇太村)を月の神へと奉りました。
歌荒樔田は山背国の葛野郡にあります。
壱岐県主(イキノアガタヌシ)の先祖の押見宿禰(オシミノスクネ)が祠(マツリ)に仕えました。
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解説
ここでできた神社
ここで作られた「祠」が山城国葛野郡葛野坐月読神社…現在の京都市西京区松室山添町の月読神社です。ちなみに「アラスダ」とは「アル」の他動詞で「アル」とは「産(ア)る」です。
月の神
古事記・日本書紀を読んだ人には日本にはアマテラスという太陽神とツキヨミという月神がいるとことを知っています。このふたつの神はイザナギによって生まれたのですが、イザナギも元をたどれば高皇産霊と関係があります。イザナギと高皇産霊が「親子」とは言いませんが、まぁ、血統というか一族ではあろうと思います。よってアマテラスとツキヨミは高皇産霊の子孫、というのはなんらおかしいことでは無いわけです。
ただ問題はなぜ今更「高皇産霊」なのかってことです。
高皇産霊を特別視した時期があった、ということではないかと。日本は多神教の世界で、報じている神が絶対というわけではありません。むしろ、稲の神、カマドの神、ホウキの神、火の神とそれぞれ用途によって使い分けるのが普通です。つまり日本人は時と場合によって「より強い神」、もしくは「より適した神」に切り替えるというのは何ら異常なことではありません。今、報じている神が、農業神だとするなら、戦争のときだけは別の神に切り替える。その方が戦争に勝てるならそうするでしょう。
そういう高皇産霊を優遇する時期があった。それがその後も後を引いて古事記や日本書紀の神代の記述になっていった、のではないかと思います。
ここで作られた「祠」が山城国葛野郡葛野坐月読神社…現在の京都市西京区松室山添町の月読神社です。ちなみに「アラスダ」とは「アル」の他動詞で「アル」とは「産(ア)る」です。
月の神
古事記・日本書紀を読んだ人には日本にはアマテラスという太陽神とツキヨミという月神がいるとことを知っています。このふたつの神はイザナギによって生まれたのですが、イザナギも元をたどれば高皇産霊と関係があります。イザナギと高皇産霊が「親子」とは言いませんが、まぁ、血統というか一族ではあろうと思います。よってアマテラスとツキヨミは高皇産霊の子孫、というのはなんらおかしいことでは無いわけです。
ただ問題はなぜ今更「高皇産霊」なのかってことです。
高皇産霊を特別視した時期があった、ということではないかと。日本は多神教の世界で、報じている神が絶対というわけではありません。むしろ、稲の神、カマドの神、ホウキの神、火の神とそれぞれ用途によって使い分けるのが普通です。つまり日本人は時と場合によって「より強い神」、もしくは「より適した神」に切り替えるというのは何ら異常なことではありません。今、報じている神が、農業神だとするなら、戦争のときだけは別の神に切り替える。その方が戦争に勝てるならそうするでしょう。
そういう高皇産霊を優遇する時期があった。それがその後も後を引いて古事記や日本書紀の神代の記述になっていった、のではないかと思います。
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