近江へ帰る置目・天下安泰で稲斛は銀銭1文

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顕宗天皇(十九)近江へ帰る置目・天下安泰で稲斛は銀銭1文

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原文

九月、置目老困、乞還曰「氣力衰邁、老耄虛羸、要假扶繩、不能進步。願歸桑梓、以送厥終。」天皇聞帵痛、賜物千段、逆傷岐路、重感難期、乃賜歌曰、

於岐毎慕與 阿甫瀰能於岐毎 阿須用利簸 瀰野磨我倶利底 彌曳孺哿謨阿羅牟

冬十月戊午朔癸亥、宴群臣、是時、天下安平、民無徭役、歲比登稔、百姓殷富。稻斛銀錢一文、馬被野。

現代語訳

(即位2年)9月。置目は老いて困り苦しむようになり、帰りたいと乞い言いました。
「気力(イキチカラ)が衰え過ぎて、老耄(オイボレ)となり、虚ろになり、疲れてしまいました。仮に縄によりかかっても歩いて進むこともできません。願わくば桑梓(モトツクニ=故郷のこと)に帰って、その終わりを送りたいと思います」
天皇はそれを聞いて、いたいたしく思い、物品を千段与えました。あらかじめ道を別れることを心苦しく思い、もう二度と会えないだろうことを嘆きました。それで歌を歌い与えました。
置目もよ 近江の置目 明日よりは み山隠りて 見えずかもあらむ
歌の訳置目よ。近江の置目よ。明日からは山に隠れて見えなくなるのだろうなぁ

冬10月6日。群臣と宴会をしました。このとき天下は安らかで太平で民は徭役(=税としての労役のこと)もありませんでした。年ごとに稔りは増え、百姓は盛え、富を増しました。稲斛(イネサカ=斛は単位)に対して銀銭1文でした。馬は野を覆うように沢山おりました。
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解説

置目は山に帰る
置目は山の神だったのでしょう。それが里へ降りて、その霊威を使って里の畑を育てた。力を使い果した山の神は、山へと帰ります。歌の中の「山に帰ると見えなくなる」というのは日本人にとって神とは見えないものだからです。それが里で「見える」のは何かの依り代に神が宿っているからです。それが門松だったり、鹿や猿や狐といった動物だったりするわけです。

この置目の歌と、次の「宴会」と「国家太平」「百姓も豊か」という記述は繋がっているんじゃないかと個人的には推測します。
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