髑髏は分けたが四支諸骨は分けられず陵を二つ作る

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顕宗天皇(十三)髑髏は分けたが四支諸骨は分けられず陵を二つ作る

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原文

臨穴哀號、言深更慟、自古以來、莫如斯酷。仲子之尸、交横御骨、莫能別者、爰有磐坂皇子之乳母、奏曰「仲子者上齒墮落、以斯可別。」於是、雖由乳母相別髑髏、而竟難別四支諸骨。由是、仍於蚊屋野中、造起雙陵、相似如一、葬儀無異。詔老嫗置目、居于宮傍近處、優崇賜䘏、使無乏少。

現代語訳

穴を覗き見て悲しみのあまり叫び、言葉を尽くして更に慟哭しました。古より以来(コノカタ)、これほどの酷い痛みは無いでしょう。仲子(ナカチコ=ここでは佐伯部売輪のこと)の尸(カバネ=屍体)が御骨(ミカバネ=皇子の遺骨)とが混じっていて、分けられる人はいませんでした。ここに磐坂皇子(イワサカノミコ=磐坂市辺押羽皇子=押磐皇子のこと)の乳母(メノト)がいました。乳母が申し上げて言いました。
「仲子は上の歯が抜け落ちています。これを持って分けるべきです」
それで乳母のいうとおりに髑髏(ミカシラノホネ=頭蓋骨)を分けたのですが、結局、四支(ムクロ=四肢=手足)・諸骨(ミカバネ=遺骨=ここでは手足以外の諸々の骨のこと)を分けることは難しいことでした。そこで蚊野野の仲に二つの陵(ミサザキ=墓)を作って立てて、互いに似せて作って、それで一つとした。葬儀も別々ではなく、一つとして行った。老女の置目(オキメ)に詔(ミコトノリ)して、宮のほとりの近いところに住まわせました。優れて崇め血を与え、不足するものが無いようにしました。
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解説

雄略天皇によって殺された父の市辺押磐皇子の遺体は、そのとき傍に居た舎人の「佐伯部売輪」の遺体とともに、ごちゃごちゃに埋められていました。遺体をひとつの穴にごちゃ混ぜにすることは「祖霊信仰」ではありえません。これでは無縁仏と同じです。分けなくてはいけないが、分けようが無い。そこで乳母の「売輪の上の歯は抜け落ちてる」という情報をもとに頭蓋骨だけは父のものを見つけたのですが、他の骨は当然、どれがどれやら解らず、結局、一緒に丁寧に祀った…というところがこの話です。
古事記との違い
古事記では押磐皇子の押歯(=八重歯)が「三枝」のようだったと「置目」が発言しています。

置目
置目という老女。わたしは「神」のことだと想います。日本では山の神が里に下りて穀物を育てると考えていました。その山の神というのは「女」で「老人」と決まっています。山に葬られた父の遺体の場所を知っているのは何故か?それは山の神だから。

つまりこの物語は、宗教儀礼を取り込んだ物語と思っています。蚊屋野に置目という山の神がいて、それを里に下ろすという宗教儀礼があった。それを顕宗天皇の時代に取り込んだ。何故取り込んだのかというと、顕宗天皇の時代にこの地域の氏族が権力を持ったか、大和朝廷に帰属したか、このどちらか…まぁ前者でしょう。
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