近江国の狹々城山君の祖先の倭帒宿禰の妹の置目

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喧騒天皇(十二)近江国の狹々城山君の祖先の倭帒宿禰の妹の置目

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原文

二月戊戌朔壬寅、詔曰「先王、遭離多難、殞命荒郊。朕在幼年、亡逃自匿、猥遇求迎、升纂大業。廣求御骨、莫能知者。」詔畢、與皇太子億計泣哭憤惋、不能自勝。是月、召聚耆宿、天皇親歷問、有一老嫗進曰「置目知御骨埋處、請以奉示。」(置目、老嫗名也。近江国狹々城山君祖倭帒宿禰妹、名曰置目、見下文。)於是天皇、與皇太子億計、將老嫗婦、幸于近江国來田絮蚊屋野中、掘出而見、果如婦語。

現代語訳

(即位1年)2月5日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「先王(ウシノキミ=父の市辺押磐皇子のこと)は多難(ワザワイ)に会って、荒郊(アラノラ=近江来田錦の蚊屋野のこと)で命を落としました。朕(ワレ)、幼年であったので、逃亡して隠れた。いろいろとあって、こうして求め迎えられて、大業(オオキツイデ=天皇の仕事)に就いている。広く、遺骨を探しているが、知っているものはいない」
詔が終わると、皇太子億計(オケ=顕宗天皇の兄で後の仁賢天皇)とともに慟哭して痛みを分かち合い、どうしようもありませんでした。

この月に耆宿(フルキオキナ=老人)を呼び集めて、天皇は一人一人次々と問いました。一人の老女がいて、進み出て言いました。
「置目(オキメ)は御骨を埋めた場所を知っています。お見せいたしましょう」
置目は老女の名前です。近江国の狹々城山君(ササキノヤマノキミ)の祖先の倭帒宿禰(ヤマトフクロノスクネ)の妹で、名を置目といいます。これはこれからの文にも見られます。

天皇と皇太子億計と老女で、近江国の来田絮(クタワタ)の蚊屋野(カヤノ)の中へと行き、掘り出してみると、老女の言ったとおりでした。
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解説

父の仇
父である市辺押磐皇子は雄略天皇に蚊屋野で殺されました。そしてその屍体は古事記によれば「馬の飼い葉桶」に入れて埋められたというのだから、かなり粗雑に扱っていたことになります。
日本書紀ではこの後、佐伯部売輪(サエキベノウルワ)や従者の骨が押磐皇子の遺体とともに骨が一緒になって出てきます。

そんな父の遺骨を探すことになり、そこに「老女」の「置目」が現れたのです。そしてその老女は遺体の場所を知っていた。
置目
置目の出自が「狹々城山君の祖先の倭帒宿禰の妹」と紹介されています。ちなみに市辺押磐皇子は蚊屋野へ「狩り」に出かけたわけですが、その「蚊野野に獣がめちゃくちゃ集まってるよ」という情報を雄略天皇にもたらした人物が「狹々城山君韓帒」という人物なんですね。「倭帒」と「韓帒」。この二者はどういう関係なんでしょうか。
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