道徳絶対主義

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道徳絶対主義

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概要

まとめ
●紀元前6世紀に孔子は道徳によって社会を治めるという徳治主義を提示した。
●法律を否定はしなかったが、道徳に従ってすべての人が生きる社会が良い社会だと考えた。
●儒教の国である中国と韓国では法律より道徳が優先される。
●結果、法律が軽んじられる。
●儒教は理想を語るが現実には即していないという批判がある

道徳絶対主義

徳治主義を説明するときに「定食屋のサービスみたいなもの」という例えをしましたが、あれはかなりデフォルメが効いていて、「徳治主義」という言葉とは合致しないんじゃないかと思う人もいるでしょう。

それで徳治主義の根本の根本は何かというと、これは「秩序維持」です。儒教は紀元前6世紀に中国で生まれたのですが、この時代は騒乱の時期で中国の社会は混乱していました。そこに平安と安定を求め、「道徳」によって秩序を取り戻そうとしたのが「孔子」でした。どんな社会でも「道徳」というのがあるわけですが、その道徳を守るのはなぜでしょうか? ひとつの方法が「法律」です。

例えば、窃盗すれば罰がある、という法律を作れば、人々は法律の罰を恐れて窃盗をしなくなるでしょう。これが「法治主義」です。これで十分な気がしますが、孔子はこれでは不十分だと考えました。理想的な状態とは、誰もが自分の良心に従って、窃盗をしなくなることです。これが本来の「徳治主義」という考えです。

しかし、国民の全て、とは言いませんが大多数が「自分の良心に従って生きる」というのは実際に可能なのでしょうか? そして、そもそも徳治主義で運営している中国と韓国という国に、「道徳による秩序」があるのか? というと疑問がありますよね。とてもじゃないけども、そんな風に見えません。徳治主義というのは結局のところ、「理想」であって現実には合致していない、というのが実際です。
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