徳治主義の光と闇について

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徳治主義の光と闇について

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概要

まとめ
徳治主義は道徳が法律を超える社会。
●中国や韓国では司法すら道徳によって判決が曲がる。
●そのことを中国や韓国の人は疑問に思わない。
●なぜなら、中国も韓国も千年単位で儒教の国だから。現在の世界の法治の感覚が理解できない。

徳治主義の光と闇について

ここでは徳治主義と法治主義の間にある齟齬が起こす問題を取り上げているので、そこの悪い部分だけが見えてしまいますが、徳治主義の良い点というのもあります。
徳治主義から見ると法治主義は冷たい
徳治主義という考えから見ると法治主義の法治国家というのはとても「冷たい」考えです。杓子定規で頭が硬くて、融通が利かないというのが徳治主義から見た法治主義です。一方法治主義から見ると、徳治主義というのはあまりに雑然としていて、感情的に見えるのですがね。
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司法が道徳によって揺れる

儒教の考えは紀元前6世紀に生まれました。そこで孔子は道徳によって社会の規律を保とうとしました。個人個人がしっかりと勉強して道徳を持てば社会は上手くいく、と考えたわけです。これは全くその通りに思えます。法律によって罰することを全否定はしなかったのですが、あくまで法律は補助的と考えたんです。法律で罰するだけでは、みんなは「法律さえ破らなければいい」と考えるようになります。例えば窃盗で3年服役するとしたら、「3年服役すれば済むこと」と考えるようになり、道徳が崩壊すると考えました。これは当時の社会の事情もあります。現代ではほとんどの人が文字を読めますが、紀元前ですからほとんどの人が文字を読めません。そんな社会で文字で書いた「法律」にどんな意味があるのか?と言われると、確かにその通りなんです。だから当時としては「道徳で統治する」という徳治主義は、むしろ現実的な手法だったのかもしれません。


また、法律ってのは国の権力者が作るものですが、それが現場に対応できるかどうかは怪しいんですよね。例えば日本の少年法があります。少年を保護するための法律なんですが凶悪な少年犯罪が起きるたびに「少年法を改正しよう」という運動が起きます。少年法ってのは、そういう凶悪な少年犯罪を想定していないんですよね。少年法が想定している「少年」ってのは家庭環境が複雑とか貧乏とか、そういう本人に非の無い事情で不幸にして犯罪を犯してしまった、若さゆえに暴走してしまった、っていう存在なんですが、たまに起きる残虐な少年犯罪はこの想定を超えているんです。それでそういう想定を超えた事件が起きたときに、どうするか?っていうと法治主義の日本ではどうしようもありません。定められた法律のままに加害少年を裁くことになります。よって極刑というのは無い。これを「けしからんっ!」と怒るべきかどうかはなんとも言えません。
徳治主義ではどうとでもなる
ところが徳治主義ではどうにでもなります。
徳治主義だからです。
法律で「極刑は無い」と決まっていても、社会の道徳が上回ると法律が反故にされます。反故っていうと失礼かもしれませんが、徳治主義ってのはそういうものです。法律が想定していない事件が起きたときは徳治主義ってのは強いのです。ひっくり返すと徳治主義ってのは非常に曖昧だし、贔屓が横行することになります。

リッパーマン米大使傷害事件の加害者は、日本大使を襲えば「執行猶予」がつき、アメリカ大使を襲えば「重罰」になるのです。襲った相手によってこれほど露骨な刑罰の差があるのは法治国家ではあり得無いのですよ。
●アメリカ大使を襲えば重罪、日本大使を襲えば執行猶予。これは単なる「人種差別」ですが、この人種差別がまかり通るのは結局のところ「法律」より「道徳」が偉いからです。
●参考:リッパート米大使傷害事件の理由・原因
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シンドラーのリスト

ところでシンドラーのリストって映画がありますよね。あれはシンドラーというドイツのナチの高官がユダヤ人を国外に逃がしたというお話です。シンドラーはナチに賄賂を渡してユダヤ人を逃しました。彼は今でこそ英雄ですが、「法治主義」ではダメです。何故なら、ドイツはユダヤ人を殺す「法律(ルール)」の中にあったのです。ユダヤ人を殺すための法律もありました。それに反する行動を取ったシンドラーは不法者です。また、賄賂も当然違法ですからダメです。でも徳治主義ではこれらの行動は正しい。

難しい話ですが、徳治主義ってのはそういう「善行」が法律を超えるという意味でもあるし、徳治主義の国では「道徳」ってのは善行だと思っています。当人の「道徳」が他の人にとっては「不道徳」ということはあまり考えないのが問題ですが。
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法律より道徳

それでも「徳治主義」の良いところってのはわかってもらえると思います。こういう考えで起きた事件が「アメリカ韓国系市長による違法移民」です。

あれで見ると、違法移民を許可した市長は英雄シンドラーになります。だから彼は「道徳のある良い人」なんです。まぁ、そうなると韓国という国がナチになっちゃうのですけどね。
ただ、この違法移民の市長がシンドラーだというのは、当てはめればそうなる、という程度の話で、同列に扱うのもおこがましいのです。というのもシンドラーのリストという物語が感動するのは戦争という世情不安・極限状態だからです。そういう異常な状態だから「法」より「道徳」が優先される。人によっては、そんな特殊な異常な「法」を守る必要は無い。守るほうがおかしい。くらいのことを言うかもしれませんよね。そういう特殊な状況だから「法より道徳が優先」というのが成立するんです。
極限状態でもなんでも無い日常で道徳が優先される
問題なのは、極限状態でもなんでも無く、独裁ではない民主主義国家の韓国で、法律を無視する感覚なのですが、中国と韓国というのはもう何百年もそういう「徳治主義」でやって来ているのですね。だから、今更「法治主義が」と言われても、ピンと来ないんです。
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