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法治と徳治
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まとめ
徳治主義に対する法治主義
わたしは「中国と韓国が法律・条約を守らない理由…契約主義と和と徳治主義」の中で「キリスト・ユダヤ・イスラム」の宗教観の「契約主義」が「法治主義」を生んだ…という書き方をしました。これは現在の法治国家が「キリスト・ユダヤ・イスラム」の宗教観から生まれたからです。
しかし、中国にも「法治」という考えは古代からありました。日本の大宝律令(701年制定)はこの模倣です。では中国にあった「法治」とは何か?というのがこのペーシのテーマです。
しかし、中国にも「法治」という考えは古代からありました。日本の大宝律令(701年制定)はこの模倣です。では中国にあった「法治」とは何か?というのがこのペーシのテーマです。
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中国古代の「法治」について
儒教から生まれた法治
まず「原儒」という儒教がありました。
原儒は中国の元々あった宗教観です。
死者を祭り、シャーマンが居て死者を口寄せして、狂乱状態になるといった、非常によくある「民間信仰」というべきものでした。この祭礼をしっかりと体系化し、権力者のありかたとしても昇華したのが孔子でした。
孟子は孔子の考えを発展させ、「性善説」を取りました。
性善説は「生まれながらに良い人ですよ」という考えです。
荀子は孔子の考えを発展させ、「性悪説」を取りました。
性悪説は人間はそのままでは「悪」なので、何かで矯正したり、抑制しないといけませんよという考えです。荀子は「礼」でこの矯正をするという点に注目しました。礼とは社会マナー・道徳です。
この荀子の考えを更に発展させたのが韓非子でした。
韓非子は「礼」という曖昧なものよりも、明文化された「法」で、人間を抑制するべきと考えました。これが「法治」です。
法治と徳治
なんて書くと、法治と徳治は真反対という感じがします。
明文化した尺事情儀な法治と臨機応変だけど曖昧な徳治。
しかし中国にしても、何処の国でも古代から「法」は存在しました。
「法」と「徳」はずっと共存しているわけです。
実は、法治と徳治は「何を優先するか?」が違うだけです。
法治は現在の法治主義とほぼ同じです。
例えば窃盗をすると7年以下の懲役ですよーと書いてあります。
法治主義では「この罪にはこのくらいの罪を」と決まっています。
しかし徳治主義はこれはマズイという考えです。
窃盗と一口に言っても、被告の事情によって変わって来ます。
今日食べる物もままならず、このままでは死を待つしか無く、仕方なく窃盗をしたものと、ただ日常的に窃盗をしている被告が同じように裁かれるのは、おかしいわけです。だから同じ窃盗でもほとんど罪に問わないこともあるべきだし、窃盗でも死刑になることもあるのが「徳治」です。これには「窃盗だと7年以下の懲役」と設定すると、「最大で7年でいいなら窃盗しちゃお」と考えるようにもなり、モラルハザードが起きるよね、という考えもあります。
まず「原儒」という儒教がありました。
原儒は中国の元々あった宗教観です。
死者を祭り、シャーマンが居て死者を口寄せして、狂乱状態になるといった、非常によくある「民間信仰」というべきものでした。この祭礼をしっかりと体系化し、権力者のありかたとしても昇華したのが孔子でした。
孟子は孔子の考えを発展させ、「性善説」を取りました。
性善説は「生まれながらに良い人ですよ」という考えです。
荀子は孔子の考えを発展させ、「性悪説」を取りました。
性悪説は人間はそのままでは「悪」なので、何かで矯正したり、抑制しないといけませんよという考えです。荀子は「礼」でこの矯正をするという点に注目しました。礼とは社会マナー・道徳です。
この荀子の考えを更に発展させたのが韓非子でした。
韓非子は「礼」という曖昧なものよりも、明文化された「法」で、人間を抑制するべきと考えました。これが「法治」です。
法治と徳治
なんて書くと、法治と徳治は真反対という感じがします。
明文化した尺事情儀な法治と臨機応変だけど曖昧な徳治。
しかし中国にしても、何処の国でも古代から「法」は存在しました。
「法」と「徳」はずっと共存しているわけです。
実は、法治と徳治は「何を優先するか?」が違うだけです。
法治は現在の法治主義とほぼ同じです。
例えば窃盗をすると7年以下の懲役ですよーと書いてあります。
法治主義では「この罪にはこのくらいの罪を」と決まっています。
しかし徳治主義はこれはマズイという考えです。
窃盗と一口に言っても、被告の事情によって変わって来ます。
今日食べる物もままならず、このままでは死を待つしか無く、仕方なく窃盗をしたものと、ただ日常的に窃盗をしている被告が同じように裁かれるのは、おかしいわけです。だから同じ窃盗でもほとんど罪に問わないこともあるべきだし、窃盗でも死刑になることもあるのが「徳治」です。これには「窃盗だと7年以下の懲役」と設定すると、「最大で7年でいいなら窃盗しちゃお」と考えるようにもなり、モラルハザードが起きるよね、という考えもあります。
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法治は破れ、徳治主義が残る
法治主義を採用した秦の始皇帝
この法治主義を政治制度として採用したのが「秦の始皇帝」でした。
始皇帝はおそらくは「現実主義」だったのでしょう。
曖昧な「徳」に頼っていてはいけない、と考えました。
ところが秦はあっという間に滅んでしまいました。
徳治主義はこれを「当然」と考えました。
始皇帝には「徳」が無いからです。
もちろんこれは儒者の「見解」に過ぎません。
徳治主義では「徳」の無い権力者は、新しい勢力に駆逐され、入れ替わって構いません。これが易姓革命です。そして入れ替わるためには、前の権力者に「徳が無く」、新しい勢力に「徳がある」必要があります。なので、新しい勢力は前の権力者に「いかに徳が無いか?」を語ろうとします。だから次の「漢」などの歴史書には始皇帝はあまり良く描かれていません。この「始皇帝に徳が無い」というのも、そういった徳治主義の事情もあるのです。実際の始皇帝はそのような「悪人」では無かったのでしょう。ただ残っている史料が後世の儒教史観によるものだけ、というだけです。
これ以降、中国は徳治主義の国となりました。
この徳治主義は現在の中国の世界観の根本となっています。
この法治主義を政治制度として採用したのが「秦の始皇帝」でした。
始皇帝はおそらくは「現実主義」だったのでしょう。
曖昧な「徳」に頼っていてはいけない、と考えました。
ところが秦はあっという間に滅んでしまいました。
徳治主義はこれを「当然」と考えました。
始皇帝には「徳」が無いからです。
もちろんこれは儒者の「見解」に過ぎません。
徳治主義では「徳」の無い権力者は、新しい勢力に駆逐され、入れ替わって構いません。これが易姓革命です。そして入れ替わるためには、前の権力者に「徳が無く」、新しい勢力に「徳がある」必要があります。なので、新しい勢力は前の権力者に「いかに徳が無いか?」を語ろうとします。だから次の「漢」などの歴史書には始皇帝はあまり良く描かれていません。この「始皇帝に徳が無い」というのも、そういった徳治主義の事情もあるのです。実際の始皇帝はそのような「悪人」では無かったのでしょう。ただ残っている史料が後世の儒教史観によるものだけ、というだけです。
●余談ですが始皇帝の「焚書坑儒」は実際にあったのかを疑問視する向きもあります。実際にあったとしても、規模が極端に小さかったのではないか?とも。
●秦が長期王朝と成らなかった理由には、内部の闘争もありましたが、中国の地方の有力者が秦が目指した政治構造に不満だったというのもあります。
●現代の法治主義は「神と契約することで始まった」キリスト・ユダヤ・イスラム教の考えや感覚から生まれた文化思想です。よってそこでは法律は人間に平等に施行されます。そうでないと社会が混乱するからです。
●中韓では現代であっても「法律」より「徳」が上に行きます。
●秦が長期王朝と成らなかった理由には、内部の闘争もありましたが、中国の地方の有力者が秦が目指した政治構造に不満だったというのもあります。
●現代の法治主義は「神と契約することで始まった」キリスト・ユダヤ・イスラム教の考えや感覚から生まれた文化思想です。よってそこでは法律は人間に平等に施行されます。そうでないと社会が混乱するからです。
●中韓では現代であっても「法律」より「徳」が上に行きます。
これ以降、中国は徳治主義の国となりました。
この徳治主義は現在の中国の世界観の根本となっています。
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