仮説「ハングル文字の起源は倭寇」

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仮説「ハングル文字の起源は倭寇」

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概要

まとめ
ハングル文字はほぼ無限に近い音節を表現出来る。
ハングル文字は世宗王が作ったにも関わらず、蔑まれていた。
●儒教では王の権力は絶対。
●世宗王が対馬に侵攻(1419年応永の外寇)し、倭冦の中国人と朝鮮人を捕虜にしてからハングル文字を研究する機関(集賢殿)を設立している。
●倭冦は中国人・朝鮮人・日本人の混成集団で意思疎通をするために表音文字を作ったのではないか? それが対馬のアビル文字であり、それがハングル文字となったのではないか?
●倭冦の文字であり王が作った文字ではないから、蔑まれたのではないか?
●倭冦の意思疎通の為の表音文字だから、中国語と朝鮮語と日本語のほとんど全ての「音」を表現する機能があるのではないか?
●世宗王は庶民に広げることで科挙の参加を促せると思ったのではないか??
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ハングル文字の事情

ハングル文字は李氏朝鮮の世宗王が作った文字とされます。ハングルの「ハン」はチイギスハンのハンと同じく「王」という意味。グルは「文字」でハングルだけで「王の文字」という意味があります。ハングルが出来たのが15世紀。実際にこれが庶民にまで利用されるようになるのは、日本が朝鮮半島を併合して教育をしてからなのですが、それは置いておいて。

ハングルは日本で言うところの「ひらがな・カタカナ」にあたります。つまり「表音文字」です。英語のアルファベットも本来は表音文字でしたが、長い時間の中で「表音」の機能が薄れてきたので、現在は「発音記号」で補足するようになりました。表音文字に対して表意文字というのがあります。表意文字は「意味」を表す文字の事で、日本人にとって代表的な表意文字が「漢字」です。

さて、現在の韓国はほぼ漢字が使用されていません。これは「ハングルが最高」で「純粋な韓国の言葉以外は追放しよう」という考えから使用されなくなったとされます。ところが韓国・朝鮮は歴史の経緯から中国と日本の影響をゴリゴリに受けている国で、国内から中国語と日本語を追放し、それまで漢字で表記していたものをすべてハングルで表記すると同音異義語が多すぎてサッパリ分からない状態になりました。そんな問題点もありますが、ハングル文字にはあるとんでもない「優秀なポイント」があります。
ハングル文字の優秀さ
それはハングル文字はほぼ無限とも言うべき音節を表現出来ることです。
なのでハングル文字は中国語も日本語も「ハングル文字」でほぼ表現することができるのです。これは凄いことです。韓国はこのハングル文字の素晴らしい点を生かして、まだ文字を持たない民族にハングル文字を進めているくらいです。

しかし、なぜハングルにはそんな「大量の音節を表現する機能」があるのでしょうか?
一国の文字がこれほど多くの音節を持っている必要はありません。余計な機能はむしろ邪魔。日本などは過去にはもう少し多かったですが、現在は50音しかありません。それで事が足りるし便利です。また、英語には何万という音節があると言われますが、そうはいっても限られた発音記号で表現出来る程度のことです。なのにわざわざハングル文字が大量の音節を用意したのは何故でしょうか?
パスパ文字について
ハングルはモンゴルのパスパ文字を原型にしているとされます。これはパスパ文字とハングル文字の構造を調べた結果の判断で、文献にそうあるわけではありません。
パスパ文字はモンゴル帝国が自国の文字を元にして、中国の言葉も表現出来るように作らせた文字です。パスパ文字には中国全土を支配すると言う目的がありました。だから中国の言葉も表現出来るような構造に作ったのです。ではハングル文字はどうでしょうか? 中国を支配するために文字でしょうか?
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王の文字はなぜ蔑まれたか?

ハングル=「王の文字」は、当初、蔑まれていた
ところで、今でこそハングル(王の文字)と呼ばれていますが、制定したときは「愚民文字」と呼ばれ蔑まれ、ほぼ使われることはありませんでした。なぜ愚民文字と呼ばれていたのでしょうか? それは世宗王が「愚民でも読み書き出来るように」と書いたからと言われます。ですが、王が専門機関を立てて作った文字です。「愚民文字」と蔑むのはおかしいのです。なにより李氏朝鮮は「儒教」の国です。儒教では王の命令は絶対です。封建制度をガチガチにするために儒教を広めたくらいです。徳川幕府も封建制度を確立するために武士に儒教を広めました。

儒教では王の命令には絶対服従。王は正しい。正しいから王なのです(徳治主義)。王が作った文字を蔑むなんてことはあり得ません。

ではなぜ王が作った文字を蔑んだのか???
ハングル文字は世宗王が作った文字ではなかったからです。そうでないと儒教の教えに反します。王が作ったものではないから「愚民文字」とバカに出来たのです。そのことを誰もが知っていた。バカにしても問題がなかった。

ではこのハングル文字は何処から来たのでしょう?
「対馬」です。
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ハングル文字は倭冦が作った

世宗王がハングルを研究し作成した機関(集賢殿)ができる直前。李氏朝鮮は倭寇鎮圧を目的として対馬に侵攻しています。そして対馬から倭寇である中国人と朝鮮人を連れ帰っています。倭寇は日本人の海賊と思いがちですが、実際にはほとんど中国人と朝鮮人でした。この事実は中国・朝鮮の史書に書かれていることです。つまり日本人の勝手な主張ではありません。

そのとき世宗王は中国人と朝鮮人から倭寇の文字を手に入れたのでしょう。
ハングル文字が愚民文字と蔑まれていたのはこのためです。
倭寇の文字だからです。
何度も言うようですが、ハングルが(仮にパスパ文字から創作されたとしても)王が作ったものならば、愚民文字とは蔑まれなかったハズです。蔑まれるだけの理由があったハズなのです。

では何故、世宗王は「倭寇の文字」を採用したのでしょうか?? 当時の朝鮮には独自の文字がありませんでした。だから独自の文字が欲しい……ではありません。中国やモンゴルに気遣いし、独自の文字を持つことは躊躇していたくらいです。そもそも単なる文字なら漢字で十分なのです。日本なんて今でも漢字と漢字から派生した「ひらがなカタカナ」で済ませていました。世宗王が新たな文字を制定するのには、何かしらのメリットが必要です。そのメリットとはなんでしょうか?

そのメリットが「多くの音節を表現出来る」ということです。
単に多いだけではありません。
中国語と朝鮮語をカバーする表音文字であること、です。
つまり倭冦が使っていた文字は中国語・朝鮮語と日本語を表現出来る表音文字だったのです。さて、どうして倭冦の文字にはそんな機能があったのでしょうか?
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ハングル文字は異文化交流の産物

倭寇は中国人と朝鮮人と日本人の混成集団でした。
混成です。
混成ということは、例えばリーダーが日本人で部下が中国人というパターンです。逆でもいいのですが、ともかく言葉の違うわけですから、意思疎通は大変です。通訳という手もありますが、彼らは意思疎通をスムーズにするために「表音文字」を作り出しました。中国語で「行け」とか「撃て」とか、そんな簡単な言葉でもいいから知っておいた方が得です。中国語・朝鮮語には日本語には無い発音も沢山あります。そこで、中国・朝鮮・日本で共通となる発音記号が便利だと考えました。

そうして作られたのが阿比留文字です。

阿比留文字は対馬の神社に残る文字で、江戸時代には漢字が伝わる前からある「神代文字」と言われてきましたが、現在はハングル文字から創作した文字とされます。なぜ創作だと言われるのかというと、日本語には無い発音が表記されているからです。しかし、倭寇が意思疎通のために作った表音文字とするならば、神代文字ではなく、成立は13世紀か14世紀となり、日本語には無い発音があったとしてもなんら不思議ではありません。また、ハングル文字に似ていて当然です。

阿比留文字の原型はパスパ文字でしょう。
13世紀に元寇があり、高麗にはモンゴル人がやって来ています。対馬にはモンゴルのパスパ文字が伝わっていたとするのが当然。いや倭寇にはモンゴル人がいたのだと思います。もしくは取引相手にモンゴル人が居たのでしょう(済州島など)。このパスパ文字を元にして、誰にでも分かる、簡単な仕組みで、中国語と朝鮮語と日本語をカバーする表音文字を作り出しました。
つまり阿比留文字・ハングル文字は中世の異文化交流の産物ということになります。
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世宗王が描いた未来

その後対馬に侵攻した世宗王は阿比留文字を得ます。
彼はこれを朝鮮の文字にしようと考えました。
なぜか??

倭寇は朝鮮や中国の「賎民」です。
少なくともほとんどの朝鮮人はそう思っていました。
賎民は卑しく、そして愚かな存在です。
ところが、その彼らが文字を使って意思疎通をしていたのです。
しかも朝鮮語だけでなく中国語もカバー出来る文字です。
この文字は優れていると世宗王は考えたハズです。

李氏朝鮮は儒教の国で、「正しい」「徳のある」人物が国を治めるとうまくいく、という考えです。よって優秀な人物を科挙というテストで選抜して官僚にします。この科挙は「漢文」で出題されます。文字が読めることが科挙受験の大前提です。文字が読める階級はこれによって子々孫々と公務員で有り続けるのです。

そこで庶民も漢字・漢文が読めるようにしたい、と世宗王は考えました。単に朝鮮語をカバーしただけの文字なら、意味はありません。漢字も表音出来る阿比留文字は世宗王にとって魅力的だったのです。阿比留文字を広めれば、科挙を受ける人材が増える。広く人材を集めることができる。優秀な人材が集まれば、国は発展する。

ところが漢字が読める階級は反発します。
自分たちの特権が失われるからです。
世宗王が持ってきたこの阿比留文字を「愚民文字」と蔑み、バカにし広めまいとしました。そのうち、科挙そのものが形骸化します。世宗王の目的は果たせないまま、この世を去り、数世紀後、ハングル文字を庶民にまで広げたのは何と「倭冦」と蔑んだ日本人でした。皮肉ですね。
後期倭冦はほとんど中国・朝鮮人だったが、現在でも中国と韓国では倭冦=日本人と思っている。

参考:朝鮮史観
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